Wednesday, November 26, 2008

愛とはかくも難しきことかな07

  ふと目を開けると、優成さんの顔があった。
「気がついたか?」
 どうやら御堂家にある自分の部屋にいるようだった。
 心配げな顔で額に冷たいタオルを置いてくれる。
「……ヘンなの。メグまだ夢見てるみたい」
 さっきまで確かに保健室で寝ていたのに。これは夢の続きなんだな、きっと。
 優成さんが心配してくれるなんて不思議な夢だなぁ。
 そんなことを思いながら彼を見つめていると、彼は眉根を寄せて顔を寄せてきた。
「大丈夫か?何か欲しいものはあるか?」
「ううん。何もないよ」
 そう答えてからおかしくなって笑ってしまった。
「どうした」
「ヘンなの!優しい優成さんなんてヘンすぎる。優しく成るという名前が御堂の家で一番似合わなさそうなのに」
 夢だと安心してケタケタ笑っていると、喉にきた。ごほごほ咳き込みながらもおかしくて笑っていたら、優成さんは微妙な顔で黙り込んでしまう。
 お腹を曲げて笑ったせいか、身体が布団からころりと転がり出た。
 そこでふと顔先にある畳の匂いを嗅ぎ取って、何かがおかしいと思い出す。
 指先で感じる畳の感触が妙に生々しい。足にからまる掛け布団のシーツも、何もかもの感触がはっきりと戻ってくる。
 そこでやっとこれが夢ではないと気づいた。
「げっ!」
 慌てて身体を起こすと、さっきと同じ場所で優成さんが憮然とした表情で座っていた。
「笑ったと思えば青くなったり忙しい奴だな」
「ゆ、優成さん。何で」
「双子がお前が保健室で寝込んでいると連絡してきたから、迎えに行ったんだ」
 そう言うと腰を浮かして、こちらの腕を掴んできた。
 咄嗟に殴られると思って目を瞑ると、思いの他優しい動きであたしを抱き上げると布団の上に戻す。
「まだ熱があるんだろう、寝ていろ」
 落ちていたタオルを拾って、傍にあった水の入った洗面器で洗ってしぼった後、またあたしの額に乗せてくれる。
 ヘンなの。
 優成さんが優しい。
「悪かったな」
 ぽつり、と優成さんが言った。
「ドレスのこと、勘違いなんだな」
 何のことか最初分からなかったあたしは、二度三度彼の言葉を復唱したあと、あぁ、と手を叩いた。
「あれは、相二さんが勝手にっ」
「あぁ。分かっている。済まなかったな、一方的に責めてしまって」
 誤解なのだと言おうとすると、優成さんは本当に申し訳なさそうに眉を下げてそう言ってくれた。
 その様子にあたしは、なんとなく居心地が悪くなって、布団を口元まで持ち上げた。
「優成さん……」
「なんだ?」
「もしかして、あたしの熱が移ったりしてるんじゃ……」
 あまりに普段と様子が違うのでふと疑問を口にすると、彼は至って普通に「平熱だ」と答えた。嫌みでもあったのに、彼はそれを気にした様子はない。いつもの毒舌がかえってくるかと思っていたのに、拍子抜けして布団の中でため息をついた。
「優成さん……」
「なんだ、もう寝ていろ」
「名前が似合わないとか言ってごめんなさい………」
 言いながら途中で布団を顔の上まで被ったので、くぐもって聞こえたかもしくは最後まで届かなかっただろうなと思ったけれど。
 彼の大きな手が、頭を撫でてくれるのを感じて、ほっとして目を閉じた。

愛とはかくも難しきことかな06

『おばあちゃん、おばあちゃん』
『なんだい、めぐむ。騒がしいね』
 両親が亡くなり、祖母に引き取られた後の自分の家は、小さな日本家屋だった。
 廊下を歩くと床板が軋むのがしばらく怖かったのに、数年住んで慣れると、気にもしなくなっていた。
『あんたはもうちょっと大人しくしないと、嫁の貰い手がないよ』
『そんなことないもん。隣のクラスの山口君はメグのこと好きだって言ってたもん』
『はいはい。それで?何か用事だったんじゃないのかね』
 ご飯の用意をする祖母の背中は、小学生の頃の自分には大きく見えた。ダイニングのテーブルに腰掛けて祖母と喋るのは、夕飯前のお決まりの一時だった。
『うん、あのね宿題でね家族についての作文を書かなきゃ駄目なの』
『そうかい。そんであんたは何を書くんだい』
 台所で自分の背を向けたままの祖母はそう聞いてくる。
『えっとねぇ』
 死んだ両親との思い出や祖母の家に来てからのあれこれを思い浮かべながら祖母の背を見ると、なんとなくさっきよりも小さくなったように思えた。
 それから自分の身体を見下ろすと、いつのまにか前の高校の制服を着ている。身体付きもいつのまにか小学生から高校生に変わっていて、目を見開いた。
『何を書くんだって?』
 祖母にもう一度聞かれて、慌てて答えようともう一度祖母に目をやる。
 しかしその先にはもう祖母も台所もなかった。
 葬儀のために用意された黒い額縁にリボンが施された祖母の写真があるだけだ。
『おばあちゃん?』
 前の学校の制服を着た自分は不安になって祖母を呼ぶ。
『おばあちゃん、どこ?』
 祖母の写真の傍で、周りの暗闇に向かって何度も祖母を呼んだ。
 するとふと暖かい温度に包まれる。何故かそれが体温だと分かった。祖母の体温だ。祖母が抱きしめてくれている。
 体温はいつしか祖母の姿になり、やっと祖母の姿が見えて嬉しくなって縋り付くように祖母を抱きしめた。
『おばあちゃん、もうメグを置いていかないでね』
 両親の居なくなった後、唯一の家族で心の拠り所だったのが祖母だった。
 久しぶりの愛情の籠った抱擁に、心が温まる。幸せで幸せで、祖母が死んだことも見知らぬ他家に引き取られたことも全部夢だったんだと思った頃に、冷たい声が聞こえた。
『おばあちゃんはもう居ないんだよ』
『うそ!いるもん。メグを抱きしめてくれてるもん』
 顔をあげると、祖母だと思っていた姿が優成さんの姿に変わっていた。
『おばあちゃん?!おばあちゃんはどこ?』
『おばあちゃんはもう居ないんだよ』
 暴れてその腕から逃れようとする萌を容易く抱き込んで拘束すると、優成さんはいつものように感情のない声で囁く。
『その代わりお前には御堂の家があるだろう』
『いやっ。御堂の家なんて嫌い。皆メグのこと嫌いだもん。妾腹って馬鹿にして冷たいもん。おばあちゃん、お家に帰りたいよ。メグお家に帰りたいよ』
 優成さんに抱きついたままおばあちゃんに懇願する。おばあちゃんが優成さんに変身したのなら、またおばあちゃんに戻ってくれるかもしれないと思ったからだ。それでなくても周りは真っ暗で、その空間の中では優成さんだけが光に照らされていた。
『優しくされたら御堂の家も好きになるか?』
『あの兄弟が優しくしてくれるワケないもん。陰険に虐めてくる双子も、勝手に勘違いして怒ってる優成さんも、何か企んでるっぽい克巳さんも大嫌い』
『勘違い?』
 無表情だった優成さんが初めて驚いたように表情を変えたので、それに何となく人間っぽさを感じて、意気込んで言った。
『メグ、ドレスなんて買ってないもん。一也さんが買い物に行くなっていうから行かなかったのに。頑張って風邪まで引いたのに。相二さんはメグが辛いの無視して勝手に連れ出して、着せ替えごっこさせて。優成さんは全部メグが悪いっていうの。おばあちゃん、メグお金持ちなんて嫌だよ。おばあちゃんのお粥が食べたいよ。お家に帰りたいよ……』
 そうやって何度も何度も優成さんに頼んだけれど、結局祖母は戻ってこなかった。

Monday, November 24, 2008

愛とはかくも難しきことかな05

月曜日、少しだるい身体に鞭打って、学校に行く準備をした。
朝クローゼットの中に真新しいカバーのかかったドレスらしき物が見えたが、あえて見ぬ振りをした。誰かが勝手に入れたのだろう。
朝食の席には優成さんは居なかった。大学生の彼は大抵朝食には現れないのだけれど、今朝はとくに会いたくなかったので内心喜んだ。
「まぁまぁ、大丈夫ですか?お熱は計られました?」
テーブルの用意をしていたトメさんに驚かれたが、大丈夫だと笑うと若い人は元気ですねぇとお弁当の用意をしてくれた。てっきり休むと思われていたらしい。
「大丈夫じゃねーだろ、まだ顔が赤いぞ」
テーブルに着くと珍しく双子に心配されたが、そんな槍でも振りそうな行為に逆に背筋に悪寒を感じた。もちろん最近上手くなった作り笑顔で誤摩化したけれど。
そうだ。
そもそも、あたしは怒っていた筈なのだ。優成さんに誤解されたのもそもそも双子の片割れのせいではないか。
理不尽さを感じるが、本人には文句を言えない。言ったところで事態が好転するわけでもなし。なんだか最近諦めが良くなったような気がする。
そんなこんなで何もなかったように朝食を咀嚼した。
「ごちそうさまでした」
「はい、お弁当ですよ。体調がまだ良くないんだったら連絡いれてくださいね。迎えをやりますから」
「いえ、大丈夫ですよ」
学校の保健室で寝させてもらうほうが、家にいるよりも気が休まるし。
というよりも、今日は朝から保健室登校にしよう。そうしよう。



「というわけなので、今日1日よろしくお願いします」
「なにが、というわけだ、馬鹿」
保健室についたところで保険医に怒鳴られた。
「おーまーえーなぁ!家で寝てられないくらい扱いがひどいのか?」
「いいえ、別に。今日は別件で家に居ずらいだけです」
渡された体温計で一応熱を計る。今朝は37度過ぎと微熱だったが、何だかまた身体がだるくなってきていた。
保険医である宮内は今のところ自分が唯一素で居られる人物である。
引き取られてからは、故郷の町を遠く離れた関東の私学にいれられてしまって、前の庶民生活とはかけ離れてしまった。周りの良家のご子息息女の皆さんの話す話題といえば、やたら金のかかるご趣味かお家柄自慢の話ばかりである。
宮内は学校になかなか慣れない萌を唯一理解してくれた先生だ。というのも初日から保健室登校ぎみだった萌を心配してくれて、事情を聞いて同情してくれた結果だ。宮内も庶民生まれの庶民育ちらしく、初めてこの学校に赴任したときは戸惑ったらしい。なので、二人の間には何となく仲間意識のようなものができていた。
ぴぴぴっと胸元で鳴った体温計を取り出してみると、38度近くあった。また熱がぶり返して来ているようだ。
「ばっか。お前、こんな熱で学校来てるんじゃないよ」
体温計を見せるやいなや、首根っこを掴まれてベッドに押し付けられた。
「だって……、家には」
ブレザーと靴を脱いでブランケットに潜り込むと、宮内は眉をしかめた。
「なんだ、また兄貴共に意地悪されてんのか?」
「ん、違う……こともないけど、今回は誤解半分………」
「相手が誤解してんのか?」
「うん……」
ふぅ、とため息をついて目を閉じた。
考えると考えるほど、どうして自分がこんなに気を揉まなければいけないのか、理不尽さを多少感じたけれど、あれかな。やっぱり妾腹とか言われたのを心の底で気にしているのかな。怒る気がない、わけではないけれど、怒る勇気が湧かないのだ。
「お前さ、俺が話聞いてやるから、あんま腹に物溜め込むなよ」
「宮内………」
「先生を付けろ、先生を」
「宮っち」
「コノヤロ」
こめかみをグリグリされたのは痛かったけれど、少しだけ心が温かくなった。
くすくす笑うと、宮内もふっと笑い出した。
「ありがと、宮内……センセ」
「おぅ」
「あたし、宮内の家の娘になりたかったな」
「おりゃぁまだ独身だ!って言った傍から、先生を抜かしやがって」
「宮内パパ」
「馬鹿なこと言ってないで、寝てろ。病人」
「はーい」
目を閉じるとすぐに混濁した意識が眠りという闇の中に沈んでいった。


Sunday, November 23, 2008

愛とはかくも難しきことかな04


 次に目が覚めたのは、最近ようやっと見慣れた自分の部屋だった。
 木の年輪を確かめられるような板の天井をぼぅっと見上げていると、ふと顔に影が挿した。
「…大丈夫かい?」
「か、克巳さん?」
 突然顔が見えたので驚いて、慌てて身体を起こそうとすると、軽く肩口を押されて止められた。
「熱が高いから寝ておいで」
 にっこり笑いかけられて、戸惑いながら枕に頭を戻した。
 腕に点滴を打たれている。倒れた後に病院にでも連れていかれたのかと思ったけれど、いつのまにか家に帰ってきているようだ。家に医者を呼ぶことなんて出来るんだな。そんなどうでもいいことを考えていたら、額の上にあった氷のうがずれて顔の横に落ちた。
 それに気づいた克巳さんが直してくれたので、どうして彼がここにいるのかと疑問に思い見つめた。何か用事なのかと思ったけれど、にこにことしたまま一向に口を開くようには見えない。本当に何しに来たんだろう。
 双子は陰険だし、次男は冷徹だが、この人は一番年上で大人なこともあって、好意的に接してくれる唯一の人だ。まぁ、見かけだけはという意味だけれど。
 一番腹の内が見えないのはこの人ではないだろうか。
 大人なだけあって相続問題とか色々考えるだろうし、自分のような妾腹は歓迎なんかできないと思って当然だ。もしかすると優しくしておいて、こちらを油断させた後追い出すつもりではなかろうか。
「あの…」
「ん?」
「何か御用だったんじゃ…?」
 とりあえず部屋に二人きりというのも気まずいので、さっさと用件を言って出ていってもらおうと問うと、彼は首を傾げた。
「ただお見舞いに来ただけだよ」
 そういうと、水でも飲む?と害の無さそうな笑みを浮かべた。
 あたしは引きつりそうな笑顔でありがとうございます、とだけ返した。
 それからまた沈黙が降りる。
 克巳さんははだけていた布団をあたしの肩口まで掛け直したり、額にのっていた氷のうの位置を直したり、タオルで顔をふいてくれたり、甲斐甲斐しく世話をしてくれた。やることがなくなった後は、静かに頭を撫でてくれる。
 なんだろう。
 一体何をしたいんだろう。この人。まさか本気でお見舞いに来たわけではないだろうし。
 嬉しく思うよりも、この先何が待ち受けているのかが恐ろしくて、全く気が休まらない。
「克巳兄さん」
 すっと襖が開いて、優成さんが入ってきた。
「やっぱりここか」
「やぁ、優成もお見舞いかい?」
「伝言を届けに来ただけだ。父さんが兄さんを呼んでいる」
「あぁ、そういえば用事を頼まれていたのを思い出した。じゃぁ、後でまた来るよ、萌ちゃん」
 出来ればもう来ないで下さいという思いを飲み込んで、見舞いのお礼を言うと彼は飄々と部屋を出ていった。
 克巳さんが部屋を出たのを見送ってから、はぁぁと大きくため息をついた。ついてから、はっとする。部屋の中にはまだ優成さんが居たのだった。
 長兄に続いて出て行くと思っていたのに、何故かまだ戸口にたたずんでいる。
「あの、何か……」
「何故、弟と買い物に行った?」
「買い物?」
 そういえば、相二さんに連れだされた覚えがある。
 しかしあれは買い物ではないような気がするけれど。着せ替えごっこはさせられたけれど、別に買ってはいなかったし。
「とぼけてるのか?10枚もドレスを買わせておいて」
「10枚?!」
「仮病なんか使うほど、俺と買い物に行くのがそんなに嫌だったのか」
「は?あの、ちが……」
 否定しようとしたところで、やっとこれが相二さんの考えていたことなんだと気づく。
 なんで突然わざわざ外に連れ出されたのかと思えば、何のことはない。こんな風に誤解させるためだったのか。きっとあの試着したドレスを買った領収書を父親に見せて、何て金遣いの荒い娘なんだとでも言うつもりだろう。
「なんて陰険なんだ」
 そうだ。なんっっって陰険なんだ。
と、拳を握って同意をしたところで、それが相二ではなく自分を指して言われた言葉だと気づいたときには時すでに遅し。
「もういい、せっかく優しくしてやったのに」
 いや。あなたに優しくされた覚えはないですが。もしかすると、買い物に付き合ってくれることが優しいということなのか。あんな嫌そうにされても逆に辛いだけだったんですが。
 スパーンと音を立てて襖が閉まって、優成さんは部屋を出て行った。
 しん、と静まりかえった部屋の中で、一人きりになると途端に気が抜ける。
 布団を引き寄せて包まると、何も考えずに済むように目を閉じた。



Wednesday, November 19, 2008

愛とはかくも難しきことかな03


一難去ってまた一難。
今度の嵐は一也さんよりも質が悪かった。
「やっぱり仮病か」
「は?」
どこをどう見たら仮病に見えるよ、この様が。
そういう意味を混めて布団の中から睨み上げると、戸口に仁王立ちの俺様の片割れが、馬鹿にしたようにふんと鼻を鳴らした。
「出かける用意をしろ」
「あの、風邪で寝込んでいる筈なのに部屋を出るのはちょっと」
「いいから来いよ」
「そ、相二さん」
「あぁ?!」
いつぞやの車の中の一也さんとそっくりな返答に、思わず黙り込んだ。
無理矢理腕を引かれて立ち上がれば、寝間着として来ていたネグリジェの裾は大きく捲れ上がっていて慌てて手で裁いて隠した。ふっと鼻で笑われたのが気に入らないのだが。
「2分で着替えろ。でなきゃ俺が着替えさせてやる」
そう言い置いて彼は襖の向こうに消えた。
なんなんだ、ジャイアン2号め。

「あのぅ。何故このようなところへ?」
連れていかれた先は、誰でも知っている有名ブランド店。
売られているものに普段着は無いけれど、それ以外はそろっている場所。靴からドレス、髪飾りの類いまで。
「………こんなもんかな」
「あの、聞いてくれませんか、私の質問」
「おい」
「はい」
「着替えろ」
「はい?」
差し出されたのは10枚ほどのドレス。
なんなんだ。買うなと言ったのはどこの誰なんだ。なんでこんなところで着せ替えごっこに付き合わなきゃならんのだ。というかこっちは病人なんだよこのジャイアン2号。ノビタが風邪引いてたらさすがのジャイアンでも虐めないんだぞ!
なんて口から飛び出ることもなく、渋々無言で一枚着ては試着室の外まで出て次の一枚にまた着替えるという行為を1時間以上やってあげた。
しかし全て試着し終わった後に、もう数着選ぼうとしている相二さんに、ついに懇願した。
「あの、本当にもう、無理なんですけど」
こっちがフラフラなのが分かりませんか。試着室の鏡で見た自分の顔は怖いほどに青ざめていたのに。店員の人が気をきかして「風邪薬と水要りますか?」ってきいてくれるほどなのに。でも俺様なお客さんの相二に、「お連れ様が死にそうですよ」とは言ってくれないんだな。まぁ、いいけど。
「ふん……まぁこれだけありゃいいだろ。行くぞ」
そう言って腕を掴まれ引きずられるように店の外へ出た。
そんなに急いで歩かれると余計に気分が。一歩足が進むたびに頭がガンガンする。
「相二さん、わたし、もう本当に…」
「あぁ?」
駄目なんです、と続けようとしたが目眩がひどくて膝を折った。
貧血なんて人生で一度もなったことがないくらい血の気が多いはずだったのに。あの家に引き取られてから人生初なことがたくさんあるなぁ。
それにしても、目が回って、もう、駄目、です。
目の前が真っ暗になった。



愛とはかくも難しきことかな02

「おい、お前、自分がパーティなんて出れると思ってんのかよ」
 行儀良く揃えていた足が、蹴られた弾みに姿勢ごと崩れた。ついでに角を曲がっていたせいで反動で窓に額を打つ。
「いたた………」
「聞いてんのかよ」
 助手席に座る相二は興味無さげに窓の外を眺めているし、運転手の佐々木さんは多分後部座席の声が聞こえていないのでここに助けはない。というよりも相二がこの場に混ざることになれば余計まずい事態になるだろうから、一也の相手だけですむのなら良いだろう。
「優成さんも本気でお手伝いを申し出て下さったわけじゃないでしょうし、日曜までに改めてお断りさせて頂きます」
「親父がそんなん許すもんか」
「じゃぁ風邪を引いたことにしておきます」
「……日曜部屋に行ったときに居なかったらどうなるか覚えておけよ」
 そんなの部屋に居たらどうなるか想像する方が容易いではないか。
「か、風邪を引いたので病院に行くので部屋にはいないかも……」
「あぁ?」
「いえ………」
 駄目ですか。そうですか。っていうか部屋までチェックに来るってどれだけしつこいんですか。
 あぁ、早く学校につかないかな、と遠い目をしていた自分には横に座っていた彼の考えていることなどまったくこれっぽっちも分からない。


 土曜日。丁度居間で将棋を打っている長兄次兄の二人を見つけたので話しかけた。
「ごほごほっ、すみません。少し体調がおかしいので、明日の予定取りやめても大丈夫でしょうか………げほっ」
「………あぁ」
 マスクまでしているので真実味たっぷりである。
 しかも、悲しいかな。本当に病気になった。嘘から出たまこと、というよりも嘘をまことにしたのである。意地で。
 昨日の夜の水シャワーに夜の散歩は身にこたえた。本当に。
「大丈夫?」
「はい、大丈夫です」
 ずるると鼻をすすりながら答えると、微妙な顔をされた。
 どうせ腹の中では汚いなー鼻くらいかめよ、と考えているに違いない。
「しんどいので寝ています。食事には出ないので皆さんによろしくお伝え下さい」
 ぺこりとお辞儀をして、何かを言われるまでに障子をしめた。
 これで良し。
 やばい。熱が上がってきた。
 早く横になって寝よう。

 コンコン。ノックの音に、微睡みから覚めた。
「………トメさん?」
「ぶっぶー、残念、俺様でしたー」
「ジャイアン………?」
「あぁん?」
 俺様と言うのはジャイアンしかいないじゃないか。
 そんなことをうつらうつらと布団の中で考えていると、一也、いや相二かもしれないが、の顔が上から覗いているのに気づいた。
 どっちだろう。
 考えながら、そういえば部屋まで様子を見に来ると言っていたなと思いだす。
「一也さん?」
 尋ねたが返事はなかった。でも何も言い返さないということは肯定したということでいいだろう。違っていたら一時間くらい文句言うだろうし。
 勝手に部屋に上がってきた彼は、畳の上に敷かれた布団の枕元に偉そうに胡座をかいた。
「何か御用ですか」
 のっそりと上体を起こすと、頭の奥から鈍痛が響く。熱が上がっているらしい。お見舞いに来たっていう態度でもなさそうだし、早く出ていってくれないかな。
「風邪、引いたんだって?」
「はい、お約束通り、明日は辞退させて頂きましたから」
「………」
「一也さん?」
「今日の間違いだろ」
「もう日曜ですか?」
 どうやら丸一日昏々と寝続けていたらしい。なのに熱が上がるとは。
「結構熱があるな」
 ぴたりと額に手を当てられて、ひんやりとした皮膚の体温が伝わってくる。
 気持ちが良くて、相手が普段は鬼のような人物でも、弱っているときは人恋しくなるらしい。傍にいてくれることに少し感謝していると。
「なぁ、熱の有効な下げ方って知ってるか?」
 後悔することになった。
 がしっと突然伸びてきた手に、頭の後ろを掴まれる。軽い衝撃だったのだけれど、熱でぼんやりとしているところには、ぐわぁんと響く。
 驚いて目を見開くと、正面のえらく近い場所に一也さんの顔が見えた。
「ひぇっ……、や、やめ」
 焦って顔を仰け反らせようとしても、大きな手が後頭部を押さえていて逃れられない。そのまま柔らかい感触が唇に当たった。
「んん、んーっ………っ」
 悲鳴にならない声をあげると、口内に舌が入り込んでくる。
 あぁこれが世にいうディープキスですか。
 彼の口についた銀糸が切れるのを呆然とした顔で見つめていると、一也さんがニタリと笑った。
「これで風邪が治るだろ」
「なっ、なー!なーー!!」
「うるせぇ、黙れ!」
「ひ、ひどいです。初めてだったのに」
 弱々しく文句を言うと、一也さんはそれはもう嬉しそうに笑って部屋を出ていった。
「っていうか!ていうか、私たち、半分は血のつながった兄弟なんでしょ…?!」
 叫んだその言葉に答えは返ってこなかった。


愛とはかくも難しきことかな01

 妾腹、という単語なんて、近年知らずにいる人も多いのではないだろうか。
物語の中で聞くのならまだしも、実際に使われているだなんて思いもしなかった。
 しかも、それが自分のことを指して使われるだなんて。


「萌(めぐむ)ちゃん、何か不自由していることがあったらパパに言うんだよ」
「はい、お父様」
「お父様なんて堅苦しいなぁ。まだパパって呼んでくれないの?」
「いえ、それはちょっと………」
 広い和室に足の短い長いテーブル。
並べられているのは美味しそうな香りを漂わす、豪勢な朝食。
 もうこの屋敷に来てから1ヶ月はたったけれど未だに慣れはしない雰囲気。
「学校はどう?一也と相二はちゃんと面倒を見てくれている?」
「はぁ、おかげさまで」
面倒なんて見てもらった覚えすらないが適当に頷くと父親は自慢の双子の息子によくやったと笑顔を向けている。
「買い物は事足りているかい?お金は気にしなくて良いからね」
「いえ、特に必要なものもないので」
「そうかい?パーティ用に数着必要だとトメさんが言っていたな、そういえば」
 トメさんとはこの家の家政婦さんて、新しく来た萌の世話係のようなことをしてくれている人だ。性格は肝っ玉母ちゃんのような50歳の女性で、右も左も分からなかった萌に優しくしてくれた唯一の存在だ。
「ではトメさんと近日中に必要なだけ選んで買っておきます」
「いや、それなら優成、お前今週末ちょっと萌ちゃんに数着見立ててあげれないか?」
「………今週はホテルで茶会があるので」
「そ、そうですよ、お父様、優成さんはお忙しいので手を煩わせるわけには」
「日曜の3時、茶会後ならば」
 断ろうとした矢先鋭い眼光で睨まれ、ひぃっと声に詰まったところ、約束をこじつけられてしまった。
「いやぁ、良かった。優成の見立てはなかなか良いんだよ。きっと萌ちゃんも気に入ると思う」
「は、はい。ありがとうございます」
 そろりと伺って優成さんにお礼を言うと、顔を冷たく背けられた。
「萌ちゃん」
「はいっ」
 名前を呼ばれて顔を向けると、この家の長男の克巳さんの笑顔があった。
「日曜は車が出払っているから、ホテルまで僕が送って行ってあげるよ」
「いえ、あのご迷惑でしょうから、私は電車で」
「あぁそれがいいね。克巳よろしく頼むよ」
 人の話を聞けないのは父親譲りなのかもしれない、この家族。
 この場で唯一朗らかな雰囲気を二人が醸し出したところで、周りに気づかれないように、そっと小さく息をついた。
 まったく。この家は息がつまる。

 事の始まりは3ヶ月前。面倒を見てくれていた祖母が亡くなったことからだ。
 遺言書と弁護士に渡されたのは一つの連絡先。
 御堂秀美。
 聞いたこともない男の名前だった。
 両親は小さい頃に事故に亡くなっていたけれど、ちゃんと二人の記憶も残っているのでさすがに小さい頃に生き別れた父親や母親という筋ではないだろうと分かっていた。あるとすれば後見人になってくれそうな人。
 祖母の遺書にはそこに連絡しなさいと書いてあったのでとりあえず呼び出してみた。そこで出会ったのが今の父親。
 そして、まさかの展開になり。明かされた内容が、自分は彼の妾腹だと言うのだ。
「ま、まさかですよね」
「いや、DNA鑑定をしてもきちんと血縁者だと出るのだよ」
「DNA鑑定までしてあるんですか?!」
 いつのまに人の細胞を鑑定に出したのやら。
「いろいろあって、すぐには考えは出せないかもしれないけれど、僕は君の後見人になるよう君のお婆さまから仰せつかっているんだよ。だからとりあえず、落ち着くまでは僕の家においで」
 そんな風に言いくるめられて御堂家に来たものの。

 待っていたのは氷河期かと思われるほど冷たい態度の兄達だった。


 上から、克巳、優成、一也に相二と続く四兄弟は、東京の一等地に大きく構えられた屋敷に恥じぬような外見と経歴をお持ちだ。
 御堂家は旧華族筋のようで本家は関西にあるのだとか。明治時代に御堂の分家が商家として財を広げたのが今の父の代に続いていて、父親は今何とかっていう大きな会社の社長をしているらしい。
 らしい、というのは説明をしてくれる筈だった兄達が、「妾腹にこの家にいる権利はない!」とぷんぷん怒って、詳細を話すよりもどれだけ自分がこの家に相応しくないか、この家を出ていくべきかと語られたからだ。
 出ていって欲しいのなら出ていきます、と自称父親に言おうとすれば、父の前では猫をかぶっているらしい四兄弟は突然手のひらを返しだす。「この家のどこが嫌なんだい」から始まり「不自由があれば何でも言ってくれ」と来た。そんな真実味はないが、かなり強引な説得に押され、居残ることを伝えれば、その場から父親が居なくなった途端にまた非難の嵐。
 四兄弟が居ない間に父親の説得を試みてみたが、彼からの返答は四兄弟がどうしても残って欲しいと言っているときたもんだ。
 成す術もなくずるずると結局今日で2ヶ月を越そうとしている。