Wednesday, December 31, 2008

怖い人 番外 大晦日後編

「愛実っちゃーん、ごめんって」
「悪かったって。な、機嫌直せって」
 支度を終えて戻ってきた二人は、リビングで頬を膨らましたままの愛実を見て、途端に機嫌を伺う低姿勢になった。
「二人で笑い者にして」
「いや、だってさぁ」
「これからはタオル一丁の男を見たら警戒心が湧くだろ」
「それにしたって」
 確かに男のタオル姿はこれから警戒心が湧くかもしれないけれど。あんなに笑わなくたっていいじゃないか。
「まぁまぁ、良いところ連れていってあげるからさ」
 むぅ、と唇をとがらせていると、ソファに起きっぱなしにしていた愛実のジャケットを持ってきた槌谷に背を押されて、渋々出かけることにした。
 マンションの一階の自転車置き場に置いてある槌谷のバイクのところまで行ったとき、ふと南条がヘルメットを持っていることに気づく。槌谷のスペアはバイクの中に閉まってあるし、それは見慣れない柄だった。どうするんだろう、と見ているとなんと南条は傍にあったスクーターのエンジンをかけた。
「えっ」
「へへー、俺もやっと手に入れたんだ」
 驚いた愛実に、南条が自慢げに赤い可愛いスクーターを見せてくれる。
「赤カブって呼ばれてるんだけど、ちょっとレトロっぽくて可愛いよな」
「まぁ、洋平のバイクの横に並ぶと見劣りするけどな」
 跨がるスポーツタイプの槌谷のバイクに比べると、スクーター型の南条のバイクは確かに並ぶと多少絵にならないところもあるけれど。 それでも、バイクはバイクだ。カジュアルなところが、南条に似合っている気もする。
「良かったね」
 そういうと彼は嬉しそうに頷いた。
「じゃ、行こうか」
 そう言われて、槌谷の予備のメットを手渡された。何回か後ろに乗せてもらったことはあるけど、実際に二人乗りで出かけたことはない。遠くても近くの公園の回りを一周するくらいだったのに。
「どこに行くの?」
「いいとこ。冷えるから、このマフラーと手袋してな」
 フルフェイスではないので首元が寒いだろうと、顔の半分が隠れそうなほどのマフラーを巻かれ、渡されたライダー用の皮の手袋を手に付けた。
 闇が落ちた大晦日の夜は、確かに息が白くなるほどに寒かった。
 マンションの前までバイクを押した槌谷がまず跨がりエンジンをかけ、その後ろに愛実が乗り込んで彼女の手がちゃんと彼の腰元に回されたのを確認すると、バイクを発進させた。
 南条のスクーターのスピードに合わせているためか、ゆっくりと住宅街を抜けて行く。大通りは車が混んでいるからか、そういう道はなるべく避けて細めの道を進んだ。といっても渋滞だとしても、バイクなのですいすいと車の間を行くことができるけれど。
 数十分ほど走った後、二台のバイクが停まったのは港の倉庫などがある埠頭傍だった。何台か車も停まっていて、何人かが夜釣りにでも来ているようだった。
 見渡すと若い子のグループもいる。カップルも数組居たが、広い埠頭なので程よく距離感を保って皆それぞれの時間を楽しんでいるようだ。
「一応、穴場なんだけどな。それでもそれなりに人が居るけど」
「夜だから、人が居ないと逆に怖いぞ、こんな場所」
「それはあるかも」
 バイクを押して歩く二人についていきながら、きょろきょろと当たりを見渡す。離れて立っている街灯のせいで、視界がよくないのだけれど、二人の行く先に見知った顔ぶれを見つけた。
「おいっす」
「おぉー、来た来た!」
 槌谷の友達の中村と、他の人は見た事のあるようなないような顔ぶれだ。
「充は?」
「あいつは家で寝るって言ってた」
「はは、相変わらず寒がりだな」
「南条君、久しぶりじゃーん」
「どうもっす」
 同い年ではない人もいるらしく、どういう繋がりなんだろうと首を傾げていると、槌谷に腕を引っ張られて話の輪に入れられた。
「この子が噂の愛実っちゃん?」
「そうそう。洋平のハニーちゃん」
 どっと笑いが起こって、目を瞬かせていると、南条が気にするなという風に肩をぽんと軽く叩いた。ノリについていけないのは南条も同じらしい。そう思うと、多少ほっとした。
「ていうか今年異常に寒くないか?」
「寒い寒い、毛布持ってきた。あとカイロも。使うか?」
「一個愛実っちゃんに下さいよ」
「愛実っちゃん、こっちおいでよ。毛布入ればいいよ」
 見知らぬお姉さんにそう声をかけられ、槌谷に背を押され断るのも迷惑かとおずおずと毛布の半分を使わせて頂くことにした。
 数えると全員で10人も居るか居ないかだった。そこら中にお酒の瓶やら空き缶なんかが転がっている。警察が来るとまずいのではないかと思う愛実の心配をよそに、彼等は楽しそうに騒いでいた。
「洋平も来たし、アレやろうぜ」
「そうだな、やるか」
 中村の一声に数人が立ち上がった。
 アレ、とは何だろうと思っていると、がさごそと袋とバケツが出てきた。バケツには紐がついていて、どうも海になげこんで引き上げられるつり用のやつらしい。
 花火がいっぱい詰まった袋の中から、線香花火を取り出した中村が皆に配った。
「やっぱ最初はこれだな」
「一斉に付けるからな、初めに火を落としたやつが罰ゲームな」
 そういって輪になった皆の真ん中にろうそくが置かれる。
「せーのっ」
 かけ声で一斉に皆の線香花火に火が灯る。ぱちぱちと静かに燃え散る火花に見惚れていると、いつのまにか一人一人火が弱くなって、ぽとりぽとりと先が落ちた。
「言い出しっぺの中村のが花火が一番初めに死んだな」
「何してもらおっかなぁ〜」
 名も知らない槌谷の友達がさっそく中村に出す罰ゲームの内容を考えている。結局それは中村が海に向かって一人で歌うということに決まって、誰かが持ち寄ったギターで一人海に向かって弾き語ることになった。何を歌うべきか、というところで何故か愛実に白羽の矢が当たり、音楽の教科書にすら乗っていたポップソングの名を挙げると、彼は予想より上手く歌いきって仲間の喝采を浴びていた。
「すごいね」
「カラオケとか行くと、いつも仲間内でリクエストされるくらいだからね」
 槌谷が笑って頷く。
 いつの間にか、初対面ということも忘れて、その輪に入っていた。皆、とても友好的で人なつっこい人ばかりだったからか、馴染み易かった。あと皆多少酔っていたから、あまり何も気にしていなかったせいもあるのかもしれないけれど。
 そんな風にして数時間ほど時間が過ぎていった頃、夜空に大きな花火が舞い上がった。そう遠くない場所で、大晦日の花火大会があるらしい。ちゃんとした場所で見れば人ごみですごい混雑しているのだろうけれど、この埠頭は相変わらず、人影も少なく最初の槌谷の穴場という言葉の意味を改めて理解する。
 自分達の小さい花火はそっちのけで、愛実は新年を迎える花火に魅入った。その後ろで槌谷は中村や他の友人に「ハッピーニューイヤー」と叫びながら抱きつかれ、押しつぶされ、南条はそれを苦笑いしながら見ている。
 花火の音に混じって、汽笛の音が沖の方から聞こえてくる。除夜の鐘の代わりに、低音が鳴り渡る。きっとあちこちでこうやって人々が新年を迎え祝っているのだろう。
 今まで大晦日に出歩いたことなんてなかったし、こんな風に何かイベント事をグループで祝うこともしたことはなかったけれど、何故か 今自分がとても幸せなことに気がついた。
 お母さん。あたし、今とても楽しいよ。
「愛実っちゃんも、ハッピーニューイヤー!」
 さきほど毛布を貸してくれたお姉さんが、後ろから抱きついてきて、体勢を崩す。膝を地面に打ったのが痛かったけれど、何故か笑いがこみ上げてきて、皆と一緒に笑った。
「明けましておめでとうございます!」

 地面に引いたピクニックシートに皆で川の字になり、花火が終わるまでそれを眺めた後、一人が立ち上がって叫んだ。
「よっしゃー、甘酒飲みに行くぞー!」
「つーか初詣だろ」
「げ、絶対人が多いって」
「てゆうか腹減った、出店で何か食うべ」
 各々そう言いながら、片付けを始める。ドラム缶でできたゴミ箱が近くにあったので、花火のゴミは水を切ってそこに入れる。皆毎年やっているのか、手慣れていた。
「愛実っちゃん、疲れてない?」
「大丈夫だよ」
「初詣は人が多いけど、本当に大丈夫か?」
 槌谷と南条がバイクに跨がりながら聞いてくる。
「うん、大丈夫」
「辛くなったら言えよ」
「うん、ありがとう」
 気遣ってくれる優しさが嬉しくて、そう言って頷いた。
「甘酒って酒なんかな。飲酒になったり」
「大丈夫じゃね。あれって、未成年も飲んでいいくらいだし」
「だよなぁ」
 またまたゆっくりとバイクを運転する二人を、中村達のバイク集団は軽々と追い越していく。
「先行ってっぞー」
「また後でねー」
 手を振る彼等に愛実も振り返しながら、くすっと笑った。
「何かおかしいかー?」
 すぐ横を走っていた南条がめざとく気づいて声をかけてくる。
 風で途切れ途切れになる会話の中、大きな声で言った。
「二人とも、ありがとうー」
「なにがー?」
「連れてきてくれてありがとうー!」
 槌谷にも聞こえるように、彼の肩口で同じことを言った。すると前からピースサインが返ってきた。南条の横で大きく笑った。
「愛実ー、今年も、よろしくなー!」
「こちらこそ、よろしくねー」
 大声で夜中に喋るのはきっと近所迷惑なのかもしれないけど、新年だから許してもらえるだろう。そう言い訳して、初詣への道を3人で辿った。


注1)免許取得後1年以内は二輪の二人乗りは違反です。
注2)未成年の飲酒は法律で禁止されています。
注3)飲酒運転は二輪でも違反です。
*全員の年齢をぼかしているので、そもそも法律に違反してる内容ではないという前提です。法律違反は推奨していません。

怖い人 番外 大晦日前編

「え?大晦日?」
 その電話が槌谷からかかってきたのは、30日の夜だった。
 内容はカウントダウンを、槌谷の家でやらないかというものだった。
「でも、夜中に出歩くなんて、お母さんがきっと許してくれないよ」
「大丈夫だよ、多分。ちょっとマナさんに変わってくれる?」
 槌谷の母が愛実の母と仲が良いせいか、彼は彼女の母のことを名前で呼ぶ。母の存在を知らなかった頃も、槌谷は母と面識があったらしい。勿論、愛実の母親とは知らなかったらしいが。
「おかあさん、槌谷が変わってって」
「はいはい?」
 キッチンで夕飯を作っていた母に携帯電話を渡すと、彼女は器用に肩との間に電話機を挟んで槌谷と喋りながら料理を続けた。
「えぇ、そうね。それなら……」
 内容はなんとなくしか分からないけれど、どうやら愛実の想像に反して母は槌谷の提案に乗り気のようだった。
 横で立って会話を聞いていると、彼女がこちらを向いて食器棚を指差した。どうやら器を持ってきて欲しいらしく、頷いてその場を離れた。
「……じゃぁ、よろしくね」
 戻ってくると、丁度彼女が携帯電話を耳から離したところだった。
「アイちゃん、ありがと。あと、はい。話は聞いたから、明日お昼に送っていって、一日の朝に迎えに行くから」
 器と携帯電話を交換しながら母がそう言うので、愛実は驚きに目を瞬いた。
「え、いいの?」
「勿論よ、お友達と大晦日を過ごすなんて初めてでしょう。楽しんでいらっしゃいな」
「う、うん。ありがとう、おかあさん」
 こうもあっさりと許されるものなのか、と首を傾げながらもう一度携帯電話に耳を当てる。
「もしもし」
「明日マナさんが昼すぎにうちまで送ってくれるらしいから。泊まる用意はタオルとかうちにあるから、服くらいでいいからね」
「うん」
 そう言って電話を切った。
 泊まる準備って何がいるんだろう。歯ブラシと着替えと。明日は何を着ようかな。



 翌日の昼、エミも友達と出かける予定らしく母に一緒に駅まで送ってもらうことになった。
「ママ何考えてるの?!男が二人にアーちゃんだよ?」
「大丈夫よ、南条君と洋平くんなら」
「どこにそんな根拠があるのよー!」
 行き道で愛実を止めようと散々泊まることについて反対したが、最後は待ち合わせに遅れそうだったのか渋々去って行った。
「エミちゃんは心配性ねぇ」
 うふふ、と母が笑いながら見送っている。
「……自分のことを棚にあげて」
「え?」
「なんでもないわよ。さ、行きましょうか」
 のほほんとした母がぼそりと言った言葉は聞こえず、促されて頷いた。
 槌谷の家はエミを降ろした駅から車で15分ほどだ。数駅離れているのだけど、年末のせいか車が混んでいた。
 道行く人達は皆忙しなく、それでいてどこか浮かれた雰囲気を纏いながら歩いている。
「お母さんも、昔はこんな風に友達と大晦日を過ごしたことがある?」
「うん?……そうねぇ、中学生の頃、仲の良い子達と近くの神社に行った思い出があるわね。縁日みたいに屋台が出てて、楽しかったわ」
 前を向いたまま、母はそう言った。どこか懐かしそうにそう語るのは、ずっと昔の思い出だからだろうか。
「アイちゃんも、今のうちにたくさん楽しいことを経験しておいてね」
「どうして?」
「いつ、何が起きるか分からないからよ。洋平君や南条君と、こうして過ごせるのがいつまで続くかなんて、誰にも分からないのよ」
 どこか遠い目をしていう母の言葉に、つい反論しそうになった言葉を飲み込んだ。
 槌谷や南条が明日明後日の未来にそう簡単に消えてしまうことなんて滅多にあることではないだろう。それに母の年になるまであと30年ほどある。その間に楽しいことなんていくらでもあるだろう。
 だけど、母がそういうのなら、きっと有り得ない未来ではないのかもしれない。
 だからこそ、今日この日に泊まりに行かせてもらえたのかもしれない。


 槌谷の家のマンションの前につくと、南条がエントランスで迎えてくれた。
「じゃぁ、明日の10時過ぎに迎えにくるから。あんまり夜更かししては駄目よ」
 母はそう言って家に戻っていった。きっと父が、娘達のいない家で仲良く新年を迎えるのを楽しみにしているのだろう。
「元気だったか?」
 こくん、と頷いて答えるとそうか、と言って笑った。
 学校が終わって一週間ほどぶりに見た南条はあまり変わっていない筈だけど、久しぶりに見た私服姿だと少し印象が違って見える。黒いトレーナーとジーンズは、そんなに格好付けて着ているわけでもないのに、妙に洗練して見えるから不思議だ。
「洋平が今家の片付けしてるから、ちょっと物が色々散らかってるかもだけど」
 来慣れた槌谷の玄関を入ると、確かに雑誌や何かが山積みになっておかれていた。
「おじゃまします…」
 リビングで新聞紙を纏めていた槌谷が、入ってきた愛実に気づいて顔をあげた。
「いらっしゃい。ごめんね、散らかってて」
「だから早く掃除を始めろって言ったのに」
「忙しかったんだから仕方ないだろ」
 南条に諭されて槌谷は口を尖らせる。
 上下スウェット姿の槌谷は、とことんオフの姿なのか髪の毛もセットされていないし、どことなく年相応に見えた。いつもなら南条と槌谷が揃って歩くと、大学生にすら間違えられそうなのに。
「手伝おうか?」
「いやー、いいよ。渉とゲームでもしててよ」
「お前な、俺たちが遊んでたら絶対混ざってくるだろ」
 新聞を紐で括るくらいなら、愛実にだってできる。それでなくとも今朝は家で母の掃除を手伝っていたし。
「3人でやっちまおうぜ。後は台所と洗面所だけだろ。そしたら年越し蕎麦食って、出かけるぞ」
「あ、そうだ。出かけるんだっけ」
「どこ行くの?」
「秘密」
 どうして秘密なんだ、とむぅと眉間に皺を寄せると、二人はからからと笑って、掃除を再開した。


 二人と遊ぶのは初めてではなかったけれど、こんなにまったりと家の中で過ごしたのは初めてだった。放課後一緒に買い物したりお茶をしたりしたことはあったけれど、3人で一緒に掃除をしたり、料理をしたりするのは初めてだ。
「渉、皿出して。3つ」
「あいよ」
 槌谷が実は料理が上手いことなどは新しい発見でもあった。4ヶ月近くこの家に住んでいる南条は慣れたもので、家のことならなんでも把握している。
 てきぱきと蕎麦を茹でて盛りつける槌谷に、器を出したり箸を並べたりと忙しく働く南条。そんな二人を眺めながら、愛実は手持ち無沙汰にダイニングテーブルでお茶を啜っていた。
 最初は手伝おうと思ったのだけど、大きな男二人がキッチンをうろうろしている中、自分がその中に入るとどうしても邪魔になってしまうのだ。大体にして、槌谷と南条で全部やってしまっているのだから、手伝えることすら無いというか。
「はい、おまたせ」
 蕎麦の入った器を抱えた槌谷がキッチンから出てきて、愛実の前に一つ置く。香ばしいとろろの香りがふんわりと広がる。母が毎年作る年越し蕎麦も美味しいけれど、槌谷の作ったのもなかなかな見栄えだった。
「ほい、れんげと七味」
 槌谷の後からやってきた南条が椅子に座ったところで、3人で手を合わせた。
「いただきまーす」
「……いただきます」
「はーい、いただいてくださいませー」
 蕎麦は見た目を裏切らず美味しかった。高そうな見た目の蕎麦の箱があったのだけど、素材だけではなくきっと槌谷自身の料理の上手さがこの味を出しているんだろうなぁと思う。
 槌谷が料理上手だなんて、一体誰が想像できるだろう。きっとそのことを知っている人は彼と仲の良い一部分の人間に限られるんだろう。その中に自分が入っていることが嬉しい。
「あー、うまかった」
「ご馳走さま……あの、すごく、美味しかった」
 素直に感想を言うと槌谷は嬉しそうに笑った。
「良かった。マナさんはすごい料理が得意だって聞いてたから、愛実っちゃんに気に入ってもらえて良かった」
「ううん、あの、お母さんと同じくらい、槌谷も料理上手だね」
「そうかなー。そう言ってもらえると嬉しいけど」
 照れたように笑う槌谷の顔は珍しい。また新しい発見だ、と心を踊らせていると、南条が立ち上がって器を重ねだした。
「あのっ、片付け、あたし、やる」
「別にいーぞ、俺やるし。愛実は座ってろよ、客だし。それよか、洋平、シャワー浴びて着替えて来い」
「あーい」
 未だスウェットの上下を着たままだった槌谷は、南条の言葉にさっさと席を立った。食べ終わってすぐにお風呂に入って気持ち悪くならないのだろうかと首を捻っていると、南条はすでにキッチンで食器を片付けている。
「あ、あの、あの」
「気にしなくていいって、食器洗い機に入れるだけだし」
 言われてカウンターの下を見るとシルバーの食洗機があった。
「でも…」
「じゃぁテーブル拭いてきて。台拭きはこれな」
「う、うん」
 ダイニングテーブルを奇麗に拭き終わった頃には、南条も食洗機に食器を片付け終わっていた。すごく手際が良い。もしかするといつもご飯を作るのが槌谷で、後片付けが南条という役割が分担されているのかもしれない。
「さんきゅ。なんか飲むか?」
「ううん、いい」
「そうか」
 布巾を軽く洗ってしぼったあと、きゅっと水を止めて、彼も濡れた手を拭う。
 大きくて節ばった手だ。この間手の大きさを比べたら、親と子ほど違った。
 不思議なものだな、と思う。
 小さい頃は自分の方が身長は少し高かったし、足の早さだってそこまで違うこともなかったのに。男女の違いとはそうも大きいものだろうか。
 手の動きを追っていると、それが上に上がって、目線の高さに来るとひらひらと振られた。その向こうに南条の顔がある。
「手がどうかしたか?」
「…ううん、大きいなって」
 そう言うと、彼は苦笑してその手を愛実の頭に乗せた。わしわしと頭を撫でられて、髪の毛が乱れるとその手から逃れると、南条は声をあげて笑った。
「はは、鳥の巣みたいだ」
「ひ、ひどい」
 上目に睨みつけると、彼は笑いながらもぐしゃぐしゃの髪の毛を手櫛で直してくれる。それから、元通りになった髪の毛と、愛実の格好を見下ろして、ぽつりと言った。
「今日の愛実、可愛いな」
「……え?」
「さーて、俺も着替えてくるわ」
 聞き間違いか、と首を傾げると、南条はぱっと踵を返して自分の部屋へ行ってしまった。それから聞こえた彼の台詞を思い返して、ぼっと頬が紅潮した。
 槌谷になら何度となく言われる言葉なだけに挨拶代わりと聞き流せるけれど、南条に言われる事などなかったからかつい本気にしてしまいそうだ。言い逃げされて、狡いと思う反面、赤く染まった頬を南条に見られなくて良かったと思う。
 ぺちぺちと火照った頬を叩いて冷ましていると、ぬっと背後から手が伸びてきて抱きしめられた。
「ひゃぁっ」
「ほっぺたどうかしたん?」
 バスタオルを腰に巻いたままで、いきなり出てきた槌谷に驚いて声をあげると、着替えに行っていた南条が部屋から首を出した。
「よーへー!おま、なんて格好で出てきてんだ!」
「だって着替え持って行かなかったんだから、仕方ねーじゃん。俺の部屋、そっちだし」
「だからってなぁ、愛実の前で半裸で出て行くやつがあるかっ!」
 愛実の後ろに立ったまま腕を肩においていばって言う槌谷に、南条が怒る。
「あ、あたし、別に気にしないから」
「頼むから気にしてくれよ!」
「まったく気にされないのも、ちょっと」
 二人に挟まれて言い合いの真ん中に居た愛実は、おたおたと口を挟むと何故か二人から呆れられた。
「だって、槌谷だから……」
「じゃぁ俺だったら?」
「な、南条でも、まぁ、槌谷と同じ、かな」
 南条がタオル一丁の姿なんて想像できないけど、多分見慣れてしまえば、父親のタオル姿とあまり変わらない気もする。
 そんなことを思っていると、槌谷が真剣な顔をして目の前にやってきた。
「愛実っちゃん。タオル姿の男が目の前に居るということはね」
「うん…?」
「こういうことだよ」
 そう言ってばっとタオルを腰からはぎ取った。
「ひあぁああああ!」
 悲鳴を上げて慌てて南条の背に隠れた愛実を見て、槌谷は腹を抱えて笑った。南条も思わず吹き出した。
 二人の反応を見て、南条の背から顔を出すと、よくよく見てみれば槌谷はトランクスを履いていた。短パンとあまり変わらないその姿に、愛実はほっと息をついた。それからふつふつと怒りが湧いてくる。
「ひどい!」
「あはははっ、これで反応がなかったらどうしようかと思ったけど」
「ははは、逃げ方が傑作。つーか、猫みたいに飛び上がったし」
 二人は笑いながらそれぞれ部屋に着替えに戻った。しかしリビングにいる愛実にも聞こえるくらいの笑い声がしばらく響いた。

Monday, December 22, 2008

愛とはかくも難しきことかな19

 専用ロビーに萌を抱えた優成が降りると、慌てたようにフロントの人がハイヤーを用意してくれて、そのまま車に乗った。
「どこに行くんですか?」
「友人のところだ。ホテルだと、誰がスペアキーを持ってやってくるか分からないからな」
 会話までは聞こえなかったけれど、さきほど強引に電話を切っていたところを見ると、どうも電話口で泊まる由を言ったときに反対されたらしい。まぁ、過保護ぎみな御堂の父が反対する気持ちは分からなくもないけれど。
 しばらくすると奇麗なマンションのエントランスでハイヤーは停まった。車づけがあるところを見ると、やっぱり優成さんの知り合いの家だなと思う。この人達って庶民の知り合い居ないのかな。
「誰かに行き先を尋ねられたら、適当な名前の駅をあげてくれ」
 優成さんが車を降りたときに、ドアを開けてくれた運転手の手をぎゅっと握って彼はそう言った。隙間から札束が見えたのだけど、これが世に言う買収ってやつ?手慣れているところが余計に恐ろしい。まだ大学生の筈なのに。
 それからこちらを振り向いた。
「歩けるか?」
「うん」
 頷くと、手を差し出されたので握ると、丁度良い力強さで引っ張ってくれて車から降りるのを手伝ってくれた。そのまま手を繋いだまま歩き出すと、ハイヤーの運転手が「いってらっしゃいませ」と声をかけてくれた。心持ち嬉しそうな響きだった気がする。そんなに握らしたんだ、優成さん。
 エントランスに入ったところで、管理人室じゃなくホテルみたいなカウンターがある、と驚いている萌を尻目に、優成さんは部屋番号を押した。返事もなくすぐに扉が開く。緑の覆い茂った中庭を抜けてエレベーターに乗ると、彼は迷わず最上階のボタンを押した。
「学校のお友達なんですか?」
「ああ。大学で同じ専攻なんだが、ちょっと変わってるが良い奴なんだ」
 優成さんがふ、と笑って言う。彼がこういう風に言うってことは、きっととても仲の良い人なんだろう。
 チン、と軽い音を立ててエレベーターのドアが開くと、普通のマンションを想像していた萌の予想を裏切って、小さなエレベーターホールの向こうにドアが一つだけあった。
 インターホンを押す前に、そのドアが開いて人が顔を出した。
「やぁ、いらっしゃい」
「こんな時間に悪かったな」
 サンダルを履いてTシャツにジーンズ姿の彼は、ドアを開けたまま二人に入るように促した。
「いいよ、ちょっと飲む相手が欲しい所だったんだ」
「言ってくれてたら途中で酒を買ってきたんだが」
「あぁ、大丈夫。ストックはいっぱいあるから」
 一歩入ると、シンプルでモダンな印象のリビングに迎え入れられた。
「それで、君が噂の新しい妹さん?」
 物珍しそうに部屋を見ていると、優成さんの友人の人に話しかけられた。
「は、はい、えと、まだ妹ではないんですが」
 慌てて居住まいを正す。最初に二人が会話を始めてしまったものだからタイミングを逃して、挨拶すらしていなかったので赤くなった。
「河野萌だ。養子にはまだ入っていない。萌、これが俺の友達の矢田だ」
「そうなんだ。矢田豊智って言います。萌ちゃん、よろしくね」
 寡黙そうな優成さんと違って、華やかな人だった。細身で、髪の毛がさらさらで奇麗。一瞬見とれてしまって、慌てて頭を下げた。
「よろしくお願いします。ご迷惑をおかけしてすみません」
「あはは、いえいえ。寂しい一人暮らしだから、お客さんが居ると逆に嬉しいよ」
 そう言って、彼はリビングのソファを勧めてくれた。

愛とはかくも難しきことかな18

「兄さん、何してるんだ」
「優成さん、助けて!」
 今まさに克巳さんに抱え上げられそうになっていたので、咄嗟に入ってきた優成さんの姿に助けを求めた。
「靴がないから抱っこしてあげようとしただけさ」
 いつのまにか、またいつもの微笑みを顔に浮かべて克巳さんはそつなく答える。
「どうしたんだ、一体。萌も、その格好は」
「あいつらがまたいつもの悪戯をしたみたいでね」
 あいつらという言葉が指しているその張本人の双子達は、いつのまにか部屋から出ていたらしく、ベッドルームから姿が消えていた。
「慌てて廊下をかけていくから何かと思えば、やっぱり何かしてたのか」
「車も来たようだし、萌ちゃんを家まで送って来るよ」
「駄目だ、父さんが兄さんを呼んでいた。俺が送るよ」
 その優成さんの言葉に克巳さんはやっと掴んでいた萌の腕を放した。
 身体が自由になると、すぐに優成さんの背中に隠れた。腕は離してもらっても、いつ克巳さんの気が変わるかもしれないと怖かったからだ。明らかに克巳さんんを警戒した態度に、優成さんはもの言いたげな視線を投げる。しかし、隠れた萌を一瞥した後、彼は「じゃ、また後で」と言って部屋を出ていった。
 扉が閉まる音を見届けると、力が抜けてへにゃっと床に崩れ落ちた。
「大丈夫か?」
「………なんか、もう、疲れました」
「家に帰るか」
「やだ、帰りたくない」
「萌……」
「帰りたくないよぅ……」
 優成さんに言っても仕方がないけれど、言わずにはいられなかった。
 帰りたくない。御堂の家になんか帰りたくない。
 床に座り込んだまま駄々をこねる自分を、優成さんは優しく抱きしめてくれた。胸元に顔を押し付けられて、頭を撫でられるとなんでか安心する。高いスーツなんだろうけど、抱きついたときに頬に落ちていたアイメイクの黒い染みが付いてしまった。心の中でごめんなさい、と謝りつつもしばらくの間優成さんに温もりに甘えた。
「帰りたくないんだったら、泊まっていくか」
 尋ねられて、首を振る。
「この部屋はいや」
「分かってる。違う場所にするから安心しろ」
「うん……」
 頷くと、優成さんは苦笑しながら、携帯電話を取り出して誰かに連絡しだした。
 力を抜いて大きな彼の胸の中にもたれると、彼は背中に置いた手で宥めるように摩る。その手の暖かさにまた涙腺が緩んで、少しだけ泣いた。
 どうやら父親に今晩は泊まっていく由をつげると、次は誰かに泊めてくれるように頼んだようだ。
いいのかな。こんな風に甘えてしまって良いのかな。御堂の父は怒っていないだろうか。家に帰らないことで克巳さんや双子にまたあれこれ言われないだろうか。そんな心配をしていると、優成さんは安心させるように微笑んだ。この人がこんな風に笑うなんて珍しい。いつも無愛想で無表情なのに。
「さて、行くか。靴は?」
「あっち」
 ベッドルームの傍に落ちていたヒールを指差すと、彼は立ち上がってそれを取りに行ってくれた。差し出しても履く様子も見せない萌に、怒る様子も見せず、子供にするように屈んで黙って履かせてくれる。
 それから、手を膝の後ろに回したかと思うと、軽々と彼女を抱き上げた。
「っ優成さ」
「忘れ物はないか?」
「あ、うん」
 これが世に言うお姫様抱っこ。優成さんは背が高いから、いつもと違う視線に怖くなってぎゅっと彼の首にしがみつくと、彼は器用に片手で萌を支えたままドアを開け、豪華な部屋を出た。

愛とはかくも難しきことかな17*

 嗚咽を止めようと、涙を拭って大きく息を吐く。
 それからベッドから降りて、克巳さんの横をすり抜けた。止めようと伸ばされた腕は振り払った。
「萌ちゃん」
「触らないで下さい!」
 ホテルの部屋から逃げ出すつもりでベッドルームから出ると、その場でまた腕を取られて引き止められた。
「誰がいつ君にキスしたの」
 なんでそんなことを答えなきゃいけないんだ、と睨みつけると睨み返された。答えないと腕は離してもらえないようなのでとりあえず言う。
「風邪引いてるときに双子の一人にされたんですよ!」
「どっち?」
「もう覚えてません!それに元々見分けなんかつかないんだから!それよりも、離して下さい………っ!」
 じたばた腕を振り回していると、バンッ、と音がするほど背中を壁に押し付けられた。痛みに一瞬視界が白くなったとき、唇を重ねられた。
「やだっ!……んー!んー!……」
 軽く重ねられては少しだけ隙間をあけて啄む。そのときに悲鳴をあげると、すぐに深く重ねられる。双子の一人にされたときは無理矢理に中を掻き回される感じだったけど、克巳さんのはもっと優しい感触がした。
 だからって、流されないけれど。
 噛んでやろうと口を開けると、何か不穏なものを感じ取ったのか、克巳さんがいきなり指を差し入れてきた。
「ぁぐ」
 閉じようとした口は指に拒まれて、大した痛みを与えることはできなかった。そして克巳さんからさっきまでの優しさが消えて、舌を絡められる。口の中の指先も歯列の裏をなぞるように動く。気持ち悪いと思う前に、頭の中が真っ白になった。
 背筋にぞくぞくと知らない感覚が走り、唾液が収まりきらず彼の指を伝っていく。克巳さんの大きな手が腰から背中に回り、もう一方の手は指を口から引き抜くと首の後ろに回った。
「っ、……い、あ!」
 いや、と言いたいのに声が言葉をなさない。
 ぎゅっと彼のスーツの肩あたりを掴んだ。そうでないと腰がぬけて、床に座り込んでしまいそうになっているのが、彼にバレてしまうと思ったからだ。しがみつく体勢になると、やっと重ねられる唇から勢いが抜けた。また優しく、まるで宥めるかのように啄まれた。
 大人の上手なキス。嫌いな人からされているのが悲しい。本当だったら、こんな部屋でするのなら好きな人ともっとロマンチックにしている筈なのに。そしてもっと大きくなってこのドレスに負けないような大人な女になっている時にする筈だったのに。


 やっと唇が離されたのは、酸欠ぎみになったときだった。
 克巳さんが腰に回していた手を離すと、全身に力が入らなくて格好悪くずるずると地面にうずくまった。ぜぇぜぇ、と肩で息をしながら彼を見上げると、克巳さんは冷静に胸ポケットに入っていたハンカチで指を拭っている。こちらの視線に気づいたのか、振り向くとにやっと双子とよく似た意地悪そうな笑みを浮かべた。
 今までは何を腹の底に抱えていようとにこやかな仮面を被っていたけれど、もう取り繕うのは止めたらしい。
「車が来たから、送るよ」
「い、いいです。一人で帰ります」
 よろり、と立ち上がりながら言った。彼は助けの手を差し伸べてくれたけど、それは取らなかった。また掴まれでもしたら、とその手を取るのが怖かったからだ。壁を支えにしながら立ち上がると、打ち付けた背中が痛んだ。
 何をしたいかまったく意味が分からないのはこの兄弟達の共通点なのかもしれない。双子も克巳さんも、何の目的で血を半分分けているはずの妹に手を出そうというのか。そこまで道徳観念に欠けているのか、それとも。
「そんな格好で一人で帰したら警察を呼ばれるよ」
 鼻で笑われながらそう言われて、リビングの窓に映る自分の姿を見た。
 靴はどこかに転がったままなので、伝線して見るも無惨なストッキングだけの足元。ドレスに変な皺は寄っているし、セットされていた髪の毛はもう半分以上肩に落ちて絡まっている。顔も涙で化粧が落ちていて、頬が黒く染まっていた。
 あまりにも滑稽な格好だったけれど、それでも気丈に言い返した。
「あなたの、お世話には、なりません!」
「なら無理矢理にでも引きずって帰るだけだね」
 ぐっと腕を握られてそう言われると、克巳さんのことを改めて恐ろしく感じる。力で敵わないのは十分思い知ったからだ。
「や、やだぁ」
 じわり、と泣きそうになったとき、また扉が開く音がした。

愛とはかくも難しきことかな16

 今、なんて言いました?
 一瞬何といわれたのか分からず、それからようやく彼の言った意味が分かると、かっと頭に血が上った。
「わたしが、押し倒されているの、見ましたよね」
 震える声でそう言うと、彼は頷く。
「うん」
「抵抗してたのも見ましたよね」
「いや。一也にもたれながら、相二の首に腕を回していたように見えた」
 指先が、つ、と下に降りる。
 胸元をつん、とつかれる。
「赤い跡がいっぱい付いているけど、本当に抵抗してたんだったら、こんなものつかないんじゃないの?」
「わ、わたしが、わたしが悪いって、思ってるんですか?」
「思いたくはないけどね」
 そう言った彼の頬を力のまま、怒りにまかせてひっぱたいた。
 大きな渇いた音がした。でも克己さんは微動だにしない。まるで痛くも痒くもないように立っている。
「に、似合ってもいない、こんな、胸元が大きく開いたドレスを、無理矢理着せたの、貴方じゃないですか」
 じんじんと痛む手で、ぎゅっとドレスのスカートの部分を握り締めた。口を開くと唇が、わななく。目の奥が痛かった。
「家に帰りたいって言ったわたしを、この部屋に来させたの、貴方じゃないですか」
 ぽろぽろと堪えていた涙が出て来たが、それが悲しい涙なのか悔しい涙なのかはもう分からなかった。
「そんなに、わたしが嫌いですか」
 抑えてきたものが一斉にあふれ出したかのように、言葉が止まらない。
「わたし、御堂の父に言いました。御堂の家に入りたくないって。高校の間だけ、お金のことだけ助けて頂いたら、働きに出て絶対に返しますから、一人で暮らさせて下さいって。御堂の4兄弟には歓迎されてないからって」
 イヤリングを耳から取って、ネックレスも外した。きらきらとダイヤモンドが部屋の照明に反射して輝く。
「なのに、貴方達じゃないですか。御堂の家に入るのならお金持ち学校に入れ。パーティに行くなって言いつつ、勝手にドレスまで買って。その上わたしからファーストキスを奪うだけじゃ物足りなくて、人を傷物にしようとしたり!」
 力いっぱい手の中の物を投げつけると、輝きを増して克巳さんに当たったあとは床に落ちてころりと転がった。長いネックレスは彼が咄嗟に受け止めた。
「こんなものが、欲しいから御堂の父に連絡取ったんじゃないんですよ!奇麗な服も、大きな家も、たくさんのお金も、みんなみんないらないんですよ!わたしは、わたしはただ………」
 
 ただ暖かく迎えて欲しかっただけなのに。

 少しくらいは夢を見た。
 御堂の父のような人物が迎えにきて、兄がいるんだよと言われて、仲良くなれるといいなと思った。仕方ないじゃないか。一人っ子で、その上親も居なくて。ずっと祖母と二人きりだったから、どんな人が兄になるんだろうと思ったって、仕方ないじゃないか。
 なのに顔を合わせたその場で、あっさりとその幻想を砕かれた。
 それからはちゃんと諦めた。全部。頑張って甘くない現実を理解したのに。
 なのに黙って辛く当たられるのを耐えているだけでは駄目なのか。

愛とはかくも難しきことかな15

 耳のすぐ傍で悲鳴を受けたせいか、足下の一人がしかめた顔を持ち上げた。
「……うっせ」
「そこは絶対やなの!やだっやだやだやだ、お願いやめて!やめてください」
 半狂乱、という言葉通りに暴れると、さすがに二人の手が止まった。
「そんなに嫌なのかよ」
「嫌に決まってるじゃないですか!」
「最初は痛いけど、すぐ気持ち良くなるって」
「オマエ、こんな美形二人に初めてを奪ってもらえるなんて、どんだけ名誉だと思ってるんだ」
「そうだそうだ」
 なんであたかもこちらが間違っているような感じに言えるの?!
 どう考えても無理矢理のシチュエーションで喜ぶ乙女がどこに居る。しかも半分兄弟なのに。
「は、初めては好きな人とするものなんです!」
「俺たちのことが嫌いだって言うのかよ」
「どどどどどの口がそんなことを!?」
「なんだと」
 自分の行いを振り返ってみろ!
 妾腹だなんやといたびられたこっちの恨みは深いんだ。髪の毛をひっぱってくるのは日常茶飯事だし、足を蹴られたことも数回あるし、頭をはたかれたことだってあるし。心身の暴力の傷は長いこと残るもんなんだから。
 そう説教してやろうと思ったら、突然ベッドに押し倒された。
「面倒くせぇ、もうなんだっていいからヤってやる」
話し合いも通じないなんてどれだけ原始人なんだこの双子は。というよりももう駄目だ。蹴り上げようとした足は足元の一人で空中で固定され、腕も頭上でもう一人に押さえつけられて。
「やだぁぁあああ!」
 本当にもう駄目だ。
 さようなら乙女の貞操!

 と、思ったところに、ガチャリとドアが開く音がした。
「おーい、萌ちゃーん」
 声とともに克巳さんの姿がベッドルームの扉の向こうに見える。
 途端に双子はばっと身を起こして萌から離れた。が、しかし。時はすでに遅し。
 二人が萌を襲っていたのは克巳さんの目に焼き付けられただろうし、乱れた衣服からも何が起こっていたかは一目瞭然だっただろう。
「……一也、相二」
 いつもと変わらない笑みの後ろに、烈火の炎が見える。怒っている。普段何を考えているのか分からない克巳さんが、明らかな怒りを見せていた。
 双子は逃げようとしてベッドから飛び降りたがが、逃げ出す前に克巳さんに殴り倒されていた。初めて人が殴られるのを間近で見た萌は、双子が吹っ飛ぶ様を見て人間はあんな風に軽く宙を飛ぶのかと圧倒された。
「痛ぇ〜〜〜……」
 ベッドの下で呻く声が聞こえて、萌が見下ろすと、二人は床で頬と腹を押さえて踞っている。
「萌ちゃん」
 何故か炎を後ろに携えたまま、自分の方に向かってくる克巳に、萌は怯えてベッドの上で後ずさった。
しかし手首を掴まれてベッド際の克巳の元まで引っ張られると、まず落ちていたドレスの肩ひもを直して貰った。それから乱れていた胸元とスカートをいやらしさのない仕草で直されると、彼が萌の顎をあげて首筋を覗き込む。
そしてそこで、つと眉根を寄せた。
「萌ちゃん」
「はい…」
怒っている。
何故かは分からないけど克巳は萌にたいしても怒っていた。
びくびくしながら答えると、彼は指先で彼女の首筋の一点を押さえ聞いてきた。
「君が誘ったの?」
その言葉に一瞬頭の中が空っぽになった。

愛とはかくも難しきことかな14*




「あ、起きた」
 その声に足下に目をやると、双子のどちらかがこちらを見上げている。いや、見上げているというよりは、スカートをまくりあげていた。
「なんだ、やっと起きたのかよ」
 振り向くと双子のもう一人が自分を抱き込むように座っているではないか。
「……っ!……っ!っっ!!」
 声にならない悲鳴をあげて、その腕から逃げ出そうとすれば逆に強い力で抱き込まれてしまった。
「ふふふ二人ともなななな何をしているんですかっ!」
 パニックにならない方がおかしい。
 夢のようなベッドに寝転がってどうやらうたた寝をしていた筈なのに、気がつけば血の繋がっている筈の双子の兄弟にあきらかにセクハラに当たる行いをされていただなんて。
「何って、ナニ?」
「そうそう、ナニをしようとしてるだけだって」
 二人は双子なだけ息ばっちりに、意地悪い笑みを浮かべながら止まっていた手を再開する。
 開いた胸元から入り込んだ手は、ブラをしていなかった萌の胸を揉みしだくように触ってくる。足下にいたもう一人は、ゆっくりと萌に見せつけるような手つきで、乱れたスカートの裾から足のつけねに向かって手を滑らせていく。
「や、やだっ、なんで、やめてよぅ、やだやだやだやだぁ」
 じたばたと足を動かして抵抗すれば、すぐに足の上に体重をかけられて、動かせなくなってしまった。
「やだって言ってるけど」
「言ってるなぁ」
 一人がそう可笑しそうに言えば、もう一人もくくくっと笑う。
 背中にいる彼の笑いが振動になって伝わってくる。
「やっ、おかしいよ、おかしい。血が繋がってるのに、こんなこと」
「さぁて、本当に繋がってるのかな」
「あの父親の言うことだからな、ちょっと疑わしいよな」
 信じてないからこんなことをするのだろうか。
「ほっ、本当だもん。DNA鑑定の結果見せてもらったもん!」
 そう言ったら彼等は一瞬驚いたように目を見開いた。
 やっぱり信じてなかったから、こんなレイプまがいなことをするんだ。妾腹だなんだって虐められたのも、血が繋がってない娘が御堂に取り入ろうとしてるんだって勘違いしたからなのかも。
 それなら、血が繋がってるって分かったなら、彼等の態度も少しはマシになるかと思ったんだけど。
「……んー、まぁ、血が繋がっていようが、別にどうでもいいか」
「だな。異母子だし、従兄弟同士で結婚できるんなら、似た様なもんだ」
「な、なんでー?!」
 首筋をでろんと舐められて背中がぞくぞくした。
「やだぁ」
 胸の頂きを弄ばれ、指先でぴんと引っ張られる。止めようと伸ばした両手は手首を掴まれるだけで、軽々と自由を奪われてしまった。後ろに手を回され、自然に前屈みのような格好になると、背中につつ、と舌が這う感触がする。
「あっ、駄目」
 太腿の内側にも同じ感触がした。
 目を開けてみれば鼻先に足下に居た彼の髪の毛が見えた。シャンプーなのかワックスなのか少し甘い香りがして、くらくらする。
 克巳さんに用意された物の中にあったガーターベルトとそれ用のストッキングをつけたのを今更ながらに後悔した。一番守らなければいけない部分の面積がカバーされていない。
 魔の手は太腿の外側を通って脇腹を撫で、そしてまた降りてくる。今度は明らかにヘソの下から足の付け根に向かっているのに気づいて悲鳴をあげた。

愛とはかくも難しきことかな13

 パーティに戻る克巳さんに別れを告げた後、ホテルの人が部屋まで案内してくれた。お金持ち専用のエントランスがあることに多少腰が引けながらも後についていく。エレベーターのボタンが少なかったし、直通用なんだろうか。
 ホテルに泊まった経験は中学の修学旅行くらいなんだけど、普通のホテルは部屋まで案内なんかしないんだろうな。でも荷物持ちとかの人はいるかな。そんなことを思っていたら、部屋に着いて納得した。
 一礼して去っていく案内の人にお礼を言って、ドアが閉まったのを確認してから、部屋の中をゆっくりと見渡した。
 入ってすぐにリビングルームみたいな広いスペース。その端には小さなバーカウンターがついている。開放されている両面開きのドアの向こうには大きなベッドが見える。バスルームは二つついていて、どちらも大きかった。
 御堂の家は相当な豪華さでもまだ家としての赴と生活感があったけど、今自分が立っている部屋はまるで映画の中で見るようなものだ。
 ふかふかの絨毯で足を挫きそうだったのでヒールを脱いで、そろり、とベッドルームに足を踏み入れた。奇麗に整えてあるベッドを指先でつつくと、ふかふかで寝心地が良さそうだった。
 数歩後ろに下がってから、思いっきりジャンプしてベッドにダイブすると、ぼいんぼいんとスプリングが軽く軋みながら弾む萌の身体を受け止めてくれる。
「うーん、まさに乙女の夢………」
 今いる自分の世界はまったく夢のような世界だ。それこそ冗談のような。
 しかし夢はいつか覚める。
 自分は今脆い基盤の上に立っている。いつ崩れたっておかしくない。そもそも御堂の父といくら血が繋がっていようとも、認知すらされていない彼には萌を養う義務も権利もない。彼は厚意で萌を養っているし、萌はそれに甘えている立場だ。どちらかが、止めにしようと言えば終わる関係だ。義務教育もすでに終わっているし、基本的に独り立ちしようと思えば出来る年齢ではある。
「おばあちゃん、メグはどうしたらいいのかな……?」
 返事がないのは分かっていたが、口にしてみる。
 ベッドに寝転んだまま目を閉じた。今このまま眠ってしまえば、まだ祖母が夢に出てきてくれるかもしれない。そんなことを思いながら、いつのまにか吸い込まれるように眠りの世界に導かれていた。

 暖かいゆりかごに包まれているようだと思った。とても心地よくて、いつまでもそこに居たいと思えるような。
 しかしその平穏は何かが這い回る感触に妨げられた。
 くすぐったいような、それでいてどこか気持ちの良い感覚が首筋をくすぐる。
「んっ……」
 身を捩ると、その感触は吸い付くように離れなかった。
 ちく、と痛みが走って手で払いのけようとすると、ふわふわの毛の感触がした。
 何だろう。犬か何かが居るんだろうか。
 自分はどこにいるんだったっけ。
 御堂の家。
 じゃなくて、今は確かホテルの部屋。
 ホテルの部屋に犬がいるわけない。
 そこまで考えたところで瞬時に頭が覚醒した。
「やぁっ」
 目を開けると、自分の胸元に誰かの手が置かれている。いや、置かれているというよりは誰かの手に胸が包まれている。

Sunday, December 21, 2008

愛とはかくも難しきことかな12

 立食会と言っても、お腹に溜まるような物はあまり置いていない。お酒と一緒に食べるような軽いつまみのような物ばかりだ。御堂の父を含めた会社の偉い人達はパーティ前にホテルのレストランで食べていたようだし、食事会とはまた趣向が違うようだった。
「疲れた?」
 無言で食べ物をつまんでいると、克巳さんが聞いてきた。
「ちょっとだけ……」
 パーティが始まってからそう時間も立っていないし、壁でじっとしていただけなのだけど。精神的に疲れてしまった。
「もう帰っちゃ駄目ですか?」
「うーん、構わないと思うけど、せっかく奇麗に着飾ってきたのに」
「どうせ見せる人もいないし……」
 確かにちょっと化粧もしてもらったし、ドレスを着たときは楽しかったけど、賑やかなパーティの中で一人ぼっちなのはつまらない。
 そう考えたとき、もしかしてこれがこの人の意図するところだったのかな、と思い当たる。わざわざ似合わない大人っぽいドレスを着せられたのも、きっと会場で馬鹿にされるためだったのだ。そう思うと、少しだけ泣きたくなった。
 どうせ御堂に家に自分が合わないのは分かっているのだ。
 きっとあの家の誰よりも一番自分がそのことを分かっている。
 優しい御堂の父と祖母を彷彿とさせるような優しい面影のトメさん。最近少しだけ打ち解けた優成さん。独りになった自分が唯一頼れる一家の人達。ときどきは、この家族の一員になりたいと思ったりもする。そうなれたらきっと、自分の心の底に棲みつく孤独感から逃れられる。
 でも、無理だ。
 迎えに来たのが御堂じゃなければ良かった。優しい養父の後ろにあるのが御堂じゃなかったら良かったのに。この意地悪な兄弟じゃなければ良かったのに。
「萌ちゃん?」
 訝しげに名を呼ばれて、顔をあげると克巳さんの心配げな顔がこちらを見下ろしていた。その顔が少しだけぼやけて見えて、やっと自分の目に涙が溜まっていることに気づく。
「大丈夫?気分が悪いんだったら、外に出よう」
「や、大丈夫です」
「そうは見えないよ、おいで」
 背を押されて抵抗しようとしたら、二の腕を大きな手に掴まれて、引っ張られる。この人、実は相当強引だ。あの双子はこの人に似たのかもしれない。ただ優しい雰囲気に誤摩化されているだけで、やっていることは乱暴だ。
 
 結婚式場としても使われるホテルの別館でパーティは行われていた。別館傍にはチャペルもあった。奇麗な庭園を抜けるとその向こうには背の高いホテルの本館が闇夜に煌々と聳えている。
 庭園にあったベンチに座らせられて、克巳さんは前に膝をついて屈んだ。逃げないように囲み込まれたような心境で、萌は顔を伏せた。
「どうしたの、一体」
 指先で目尻を拭われる。
 涙を零しはしなかったけど、潤んでいたのは気づかれていたらしい。
「なんでもないです。ちょっと、疲れただけです」
「本当に?」
「はい」
 実際、自分が多少感情的になっていたとしても、この人には関係ない。
「すみません、心配をおかけして。私、そろそろ家に帰ります」
「でも、家の車は10時にならないと来ないよ」
「車がなければ、タクシーか電車でも取りますから」
 家から高速で来ているから、それなりに遠いのかもしれないけれど、ここに居るよりはいく分マシな気がする。タクシー代に多少かかろうが、あの御堂の父は気にしないだろうし。
 ベンチから立ち上がろうとすると、克巳さんがため息をついて肩を押さえてきた。
「パーティを抜けるのは構わないとしても、そんな格好の君を一人で帰したのが父にバレたら大事だよ。部屋を取ってあるから、そこで10時まで待っていて。ね」
 その説得に渋々頷いた。
 今はまだ8時すぎだ。
 2時間近く時間を潰すのは難儀にも思えたけれど、ホテルの部屋だったらテレビでも何でもあるだろうし、そもそもさっきから痛みを訴える足を休めることができるのならそれだけでも良い。
「後で様子を見に行くから部屋にいるんだよ。いくらホテル内でもドレス姿でふらふらしていると危ないからね」
 というよりも、こんなドレス姿で公の場を歩きたいわけがない。だから部屋に籠っているのは賛成だ。

Saturday, December 20, 2008

愛とはかくも難しきことかな11

「挨拶周りは終わったんですか?」
「大体ね」
 優成さんとは違って一人身軽にやってきたらしい彼は、身長差のせいか少しかがむようにして話してくる。その体勢の密着感もさるものながら、素肌の肩に触れる彼の手が思ったよりも暖かくて、少し肌寒かったので心地よいのだけど、なんとなく意識してしまう。うっすらとコロンの匂いもするし、ううむ、これが大人の色気というものなのかな。
「それよりも君はどうして一人なの?」
「え、別に一人じゃぁ…」
 聞かれたので、そう答えてちらりと傍に立っていたさっきの門脇と名乗った青年をみやる。優成さんを待っていたときは一人だったけど、今は彼がいるからそういうわけでもない。
「そうじゃなくて、どうして僕の弟達が君の傍にいないのかなと聞いているんだけど」
「あ、優成さんならあちらで女性の方と喋っていらっしゃいますよ。双子のお二人は、最初にお友達の方々と連れ立ってどこかに行かれましたけれど」
「まったく…」
 そうため息をついて、萌の肩を抱いていた腕に力を込めた。
「あ、あの、御堂さんと彼女はお知り合いなんですか?」
 そのとき門脇青年が控えめに口を挟んだ。
「お知り合いに見えないかい?」
「い、いえ。仲が良さそうなので、どういう関係なのかな、と」
 克巳さんはえらく不躾な態度で応答した。大人げがないというか、ちょっと態度が悪い。まだまだ高校生くらいの門脇青年は彼に睨まれて多少腰が引けてしまっている。それでいなくとも克巳さんは御堂の跡取りだしな。
「彼女は僕にとってとても大切な子だよ。申し訳ないけど、連れていくから」
「は、はい」
 申し訳なさの皆無な物言いに、青年は気圧されたまま、引き下がった。
 きっとさっき言っていた同い年の子達のグループの元に戻る彼の後ろ姿を、なんとなく羨ましい思いで眺めていた萌は、ふと自分への視線を感じて顔をあげる。そこには自分を怖い顔で見下ろす克巳さんがいた。
「萌ちゃん、駄目じゃないか」
「な、にがですか?」
 いつもはのほほんとした仮面を被っているので、初めてみた険しい顔に驚いて一瞬声が裏返ってしまった。ちょっと恥ずかしいな。
「ああいう軟派なのについていっちゃぁ駄目だよ」
「でも、会場内ですし、親御さん達の目もそれなりにありますよ。大体、ここにいる私くらいの方達って、皆さん上役の方々の親族でしょう?親の顔を汚すようなことは、しないと思いますけど」
「まぁ、大体の子達はそうだけどね。我が家には二人、悪い例がいるから」
「あぁ……」
 明らかに双子の事を指している。
 納得していいのかどうか。しかし納得せずにはいられない萌だった。
「まぁいいや。何かつまみに行こうよ、挨拶周りでアルコール以外口にしていないんだ」
「あ、はい」
 誘われて、つい頷くと、さっと手を差し出された。
「お手をどうぞ、お嬢様」
「あ、ははは…。えーと、ありがとうございます?」
 何故か疑問系で感謝した後、萌はどうすればいいのかと引きつった笑みを浮かべた。この手を取りたくない。しかし躊躇していると、彼はさりげない仕草で萌を引き寄せた後、その腕に萌の手を絡ませた。
 これはさきほど手を握っていれば良かったのではないかと萌が思わず思ってしまうほどの密着感だった。
 今まで彼氏の一人も居たがなかったので、こんな風に異性にくっつくのは初めてなのだ。鼓動が激しいのは胸がときめいているのか、このやけに優しくしてくる長男の心の内が恐ろしいからなのか。せめてときめきで居て欲しいな、と乙女な萌の心の一部分が祈っていていた。

怖い人 番外

 過去の誤解も解けて、今日から普通の学校生活が待っている。

—筈だったのだけれど。


 朝の挨拶が飛び交う中、愛実は憂鬱そうに廊下を歩いていた。
(なんて挨拶すれば良いのかな………)
 そのすぐ傍を歩くエミは、知り合いを見つけては「おはよー」と軽く手を振っている。それを横目で眺めながら愛実はため息をついた。
「どしたの、アーちゃんさっきからため息が多いね。幸せが逃げちゃうよ?」
「……ちょっと、緊張で……」
「え?」
「ううん、何でも無い……」
 なんとなく声にも自信がなくなって、誤摩化すように首を振った。


 先日、愛実は南条と数年ぶりに仲直りというものをした。
 今まで怖くて怖くて仕方なかった人にも、色々あったんだと思うと許してあげなければならない気になった。
 元々、彼を嫌っている、という思いがあまりなかったせいかもしれない。
 嫌い、というよりは怖くて。
 彼を恨んでいる、というよりは、過去の記憶自体が全部忌まわしくて。
 忘れたくて、忘れたくて仕方がなかった。だから封印した記憶の中にあった、南条に感じていた違和感すらも思い出せなかった。
 南条に虐められたのも、携帯電話を壊されたのも、すべてはあの頃の自分を包んでいた理由の無い憎悪の一部だと思った。父親に見向きもされず、小学校では先生にも生徒にも見離されて、孤独の中で見つけた母親の存在が全てだと思っていた。
 南条が自分を好いていたなんて、思いもしなかったのだ。

『ただの独占欲だったんだ』
 そう南条は言った。
『愛実を独り占めしたかった。陽平や、他の奴らと喋っているのが嫌だった』
 ぽつり、ぽつりと記憶を辿るように彼は昔の話をした。愛実を虐めるに至る経緯を。
『だから、クラスの男子に言ったんだ。愛実は女子なんだから気軽に喋るなって。遊ぶのは男子だけでいいだろって。そしたら、いつのまにか女子まで喋らなくなってた。しばらくしてやっとオマエがクラスから孤立していることに気づいた。でも何もできなかった。皆は俺と愛実が喧嘩したんだと思っていたから、今更皆に喋りかけるようになんて言えなかった。俺が愛実のことを好きなのがバレるんじゃないかって怖くなった』
 ファミレスの喧騒が3人の周りからどこか遠ざかって聞こえた。
 槌谷は傍観者としてその頃のことはよく覚えているからか、相づちも打たずにストローを噛みながら窓の外を見ている。二人だけで話させてやろう、という心遣いなのかもしれない。元々、今日ここに居るのも愛実が一人では心もとないと頼んだからなのだから。
 愛実はテーブルの上の冷めてしまった皿を睨むように俯いて話を聞いていた。
『でも愛実を孤立させたのは自分だって分かっていたから、何かと用事を作ってかまったんだ。いや、本音を言うと、悪いっていう気持ちよりも愛実を独占できることの方が当時は嬉しかったかもしれない』
『宿題とか、遊びの得点付けとか……?』
 覚えてるのは、強制的に色々やらされた思い出だ。
『嫌がりながらもやってくれているのが嬉しかった。自分のノートに愛実の字があるのが嬉しくて、いつも返してもらうと眺めてた。つまんない掃除の時間も、愛実をからかっているだけで楽しく思えた。サッカーやってる間愛実が見ていてくれてると思うと、すごくはりきってやってたんだ。……ごめんな。馬鹿だったよな』
 南条は得点を入れると、すぐにこちらを向いてちゃんと得点がスコアされてるかいつもチェックをした。それが怖くて、いつも彼が振り返るときに得点版をまくっていた覚えがある。そうすれば、彼と目線を合わせなくてすむし、ちゃんと得点を付けていることを証明できたから。
 それにしても、彼が言うことはなんとなく、あの頃の記憶に当てはめていくと、言い訳だけではない説得力があった。宿題のコピーに取られたノートは勝手に描かれた落書きと一緒に返ってくることが多かった。ときたま、愛実の似顔絵が描かれていた。ぶさいくに描かれていたけれど、それでもノートが切り刻まれたり悪口を書かれることはなかった。掃除の時間も、サッカーの得点を付けているときも、南条はやけにはしゃいでいた気がする。そして愛実にやけにかまってくるのだ。あれは、幼い好意故の行動なのだろうか。
冷静になって今から考えると当時の南条の行動の意味がすんなりと記憶に染みていって、彼が言葉を紡ぐたびに心が晴れていくような気がした。
『……もう、謝らなくて、いいよ』
 うつむけていた顔をあげて、あらためて南条を見た。
 相変わらず疲れた顔。
 寝不足だと言っていた。年齢を偽ってバイトしているのか、夜間の遅い時間まで働いているらしい。
 愛実は今とても幸せだ。
 高校に入って南条に会ったときは、悪夢の再来かと怯えてしまったけれど。
 でもこうやって過去の清算ができて、家に帰れば迎えてくれる家族が居て、高校には少ないけれど友達といえる子達がいて。まるでこの世界に要らない子のように感じていた過去に比べたら、自分は今とても幸せだと思える。
 でも南条は、逆に可哀想だ。
 仲の良い友達に囲まれて、家族からは自慢の息子だと言われていたのに、今は家を出て一人働きながら高校に行っている。あれだけ好きだったサッカーも野球もやめてしまっている。昔と同じ人に好かれる魅力は変わっていないけれど、影には苦労が見える。
『あたしも………南条が好きだったよ』
 いつも自信たっぷりで、皆を先導して、皆に好かれて、話題の中心で。
 理由なく冷たくされても、いつも憧れていたよ。目が離せなかったよ。
『今も、好きだよ』
 強引で、話をあまり聞いてくれなくて、時々憎らしく思うけど。
 まだちょっと怖いなって思うけど。
 今だって実は緊張しててご飯もあまり食べれなかったけど。
 でも、彼が笑うと、こっちも心が温かくなる。
『だから、そんな顔、しなくていいよ』
 困った顔を、申し訳なさそうな顔を、南条はずっとしている。
 悪い事をして怒られている子供のような表情は、なんとなく可愛いけれど。でもやっぱり、南条には自信たっぷりの態度でいてもらいたいと思う。それがきっと一番彼らしくて、自分の好きな彼だと思うから。
——と心の中で独白していると、ふと南条が驚いた表情をしていることに気がついた。 
『?』
『愛実』
 どうかしたの、と問いかけようとすると、突然南条が見を乗り出してきて愛実の両手を掴んだ。
 やけに真剣な顔が怖くて、咄嗟に槌谷に助けを求めようと彼を見ると、何やら興味深そうに二人のやり取りを見ていた。
『愛実』
『な、なに?』
 握られた手を振り払うこともできず、南条を見ると、真っ直ぐな視線で見つめられた。一瞬にして顔に血が上ったのが分かった。何が何なのか分からないけれど、恥ずかしくて、また顔をうつむけてしまう。
『今でも俺のこと好きか?』
『え、あ、う、うん』
 尋ねられて挙動不審ぎみに、こくこくと何度も頷く。
 南条のことは好きだ。まるで自分とは正反対のような存在だから憧れてしまう。
 そう言うと、余計握られた手に力が込められる。
『あ、あの、あの、勿論、槌谷も好きだよ』
 なんだか南条が怖くて槌谷も会話に引き込もうとしてそう言った。
 南条とは違う意味で、この人も自分とは正反対だし。
 すると南条が握りしめていた手の力が緩んだ。
『……そうだよな』
 突然に勢いのなくなった南条の態度に、愛実は首を傾げる。今の会話のどこかに南条を脱力させる部分があっただろうか。
 離れていく彼の手に一瞬寂しさを感じると、今度は片手を違う温もりに包まれた。
『愛実っちゃんは、俺も渉も大好きなんだよね』
『うん』
 槌谷は南条と違って穏やかで喋り易いから、言いたい言葉がすぐに出てくる。
 機嫌の良さそうな槌谷にほっとして、空いている手でテーブルの上にあった南条の手を握った。
『南条』
『おっおぅ』
 呼びかけると少し上ずった返事がする。見ると、彼の耳が少しだけ赤くなっていた。照れている。さっきの自分と一緒だ。自分から握ったときは照れなかったくせに。そう思って、愛実は少し笑った。
『あのね、これからは、ずっと友達で居てね』
『………おぅ』
『槌谷もね』
『ただの友達じゃなくて、友達以上ね』
 にっこりそう言われると嬉しくて、こくりと頷いた。


 そうやって仲直りを果たして、槌谷曰く『友達以上』の関係になった筈なのだけど。
 今まで自分から挨拶などしたこともない。というよりも、向こうからやって来なければ近づきもしなかったので、突然態度を変えるのもどうなのかな、と迷うのだ。
(おはよう、って言うだけ……)
 心の中で自分を鼓舞しながら、エミと別れて自分の教室に向かった。
 南条はすでに来ていた。
 愛実の席に座って突っ伏して寝ているようだった。
 他のクラスメートの姿は一人か二人居たけれど、愛実と特に話すような仲ではないので無言で教室に入った。
(お、おはよう、おはよう、おはよう……)
 自分の席の傍まで行ったところで心の中で数回繰り返す。
 しかしいざそれを言おうとしたところで、南条を見てはたと思い当たる。もしも挨拶をして彼が起きなければどうすれば良いのだろう。 まず初めに揺さぶって起こしてから声を掛けるのだろうか。
 その場合肩を揺すれば良いのだろうか。服の袖を引っ張れば良いのだろうか。頭をつつけば良いのだろうか。
 そんなしょうもないことにしばらく悩んだ後、またしてもはっと気がついたことがある。
 もしも声がまた出なかったらどうしよう。
 学校内で南条と話したことはない。週末のことはもしかすると外だったから出来たことで、もしかしたら学校と南条がそもそものトラウマの原因だったら。
 そう思うと、何となく握りしめた手に汗が滲む。
(どうしよう……)
 槌谷を待った方が良いだろうか。朝のHRが始まるまでエミのところで隠れて、休み時間にさりげなく喋る方が良いのかも。その方が良い。とりあえず逃げよう。
 と、そこまで思ったところで南条が身じろぎした。
「ん……」
 小さく呻いて彼は頭の下に敷いた腕から、顔を横に向ける。そこに愛実を見つけて、一瞬驚いてからすぐに破顔した。
「おはよ」
 その様を見て、一瞬にして心の中の葛藤が解けて消えてしまった。
 彼の笑みに背を押されるように、愛実も緊張する顔で、それでも精一杯の小さな笑みを作ると口を開いた。

「おはよう」

Wednesday, December 17, 2008

愛とはかくも難しきことかな10

「ねぇ、きみ」
 壁際の椅子に座ってにぎわうパーティ会場を眺めていると、明るい声をかけられた。
 自分の前に立った相手を見上げてみると、自分と同い年くらいの青年が立っている。
「何か」
「暇そうだね。知り合いとかいないの?」
 どうも役員の誰かの息子らしい。高校生くらいなのでスーツがあまり似合っていない。でもホストみたいに着こなしていた御堂家の双子よりは、こちらの方がよっぽど良いかもしれない。
「居るには居ますが、取り込み中です」
 目線で優成さんを指したけれど、それを見て彼は顔を微妙にゆがめた。
「もしかして彼を待ってるの?駄目駄目、優成さんはあっちのきらびやかなお姉様方が離してくれるわけないって。君みたいな子は入り込めないよ」
「はぁ…」
 なんだか可哀想な子を見る目で見られて、どうも居心地が悪い。でも本当にちょっと待っててって30分くらい前に言われたから、ずっと待ってるんだけどな。それよりも目の前の彼は自分に何の用なんだろうと、もじもじと指先を絡めていると、彼は「ところでさ」と明るく言う。
「同い年くらいの奴らで集まってるんだけど、君もおいでよ」
「え、でも」
 身も知らぬ相手のグループに入るのはちょっと、と遠慮しようとすると、彼は彼女の緊張をほぐすようににこやかな笑みを作る。その彼の好青年っぽい雰囲気に萌も少しだけ警戒心を解いた。
「どうせ君も親に優成さんに挨拶するように言われたクチだろ。僕もさ、将来のためにコネクション作っておけ、て言われたけど、あんなお姉様達をかいくぐっていくなんて無理だよね」
「はぁ」
 なるほど。たまに若い子がいるのはそういう理由で親に連れてこられているんだ。もしこれで自分が御堂家の養子に入りそうなことがバレたら、自分も優成さんみたいに囲まれるかもしれない。勿論目的は御堂の名前だろうけど。それで婚約者とかあてがわれそうな気がする。さすが上層階級。恐ろしい世界だ。
「ね、一緒においでよ」
促されて、しばらく考えた後、こくりと頷いた。さすがに30分の待ちぼうけは退屈だったし、このパーティで友達でもできたら良いなと心の底では思っていた。彼の横に並んで歩き出すと、彼は嬉しそうに笑った。それに萌も少しはにかんで微笑み返したのだが、次の彼の言葉に笑みが固まった。
「そういえば、きみの名前は?」
「え」
「僕は館脇昇(たてわき のぼる)。昇って呼んでくれていいよ」
「え、あ、あの、わたしは、河野、萌です」
「…河野?ふーん、会社の上役には居ない名前だね。取引先の人の娘さん?親御さんはどこの会社の人?」
「え、あ、その」
 コネクションを築くなんて面倒くさい、みたいなことを言っていたくせに家柄は気になるらしい。邪気のない顔で聞いてくるのが逆に憎らしい。これが御堂家やこの青年の常識なのだ。萌が孤児だと打ち明けたら、態度もがらりと変わるかもしれない。
 御堂の名を出したくはないけれど良い言い逃れが見つからずあたふたしていると、ふいに肩に誰かの腕が回された。
「萌ちゃん、何してるの?」
「克巳さん!」
「み、御堂さん」
 振り向いた先にあったのはスーツの胸ポケットに奇麗に飾られたハンカチで、上を見上げると奇麗に前髪をあげた御堂の長男が立っていた。

Monday, December 15, 2008

愛とはかくも難しきことかな09

 パーティの朝、トメさんにドレスを選んで出しておくようにと言われて、クローゼットを開けて唖然とする。
 優成さんは10枚と言っていたが、開けてみれば10枚以上のドレスがわさっと収まっているではないか。
 自分の分だけではなくて、昔誰かが着ていたお古だと思い込みたかったけれど、どうも見てみる限り全てまだブランドのタグがついたままのものばかりだ。
 誰だ。人の留守中に勝手にクローゼットを触った人間は誰だ。半分以上開いていた筈のウォークインクローゼットが埋まってしまっている。
 とりあえず勝手に仕舞われたらしいドレスをベッドの上に出すことにした。
 値段のタグは全部取り外されていたけれど、ブランドのタグやカバーがついたままのものなら返品に応じてくれるだろうから、後でトメさんに頼もう。もし駄目でも優成さんに頼んだらネットで売ってくれるかもしれない。戻ってきたお金は御堂の父に渡そう。どうせ兄弟の誰が買ったにしろ、長男以外は皆父親からお金貰っている筈だし。
 それによく考えたらこの中から気に入ったものだけ出して返品すれば良いのだから、選び放題でそう悪くないだろう。店の中で選ぶより、他人にあれこれ言われなくて済むし。
「うーん。やっぱり誰でも似合う黒のオーソドックスなワンピースタイプが無難かな。胸の下にリボンがついているのが可愛いかな。生地もしっかりしているし。手洗いできてアイロンも大丈夫なんて完璧だなぁ」
 自分が知っているブランドなんてLとVが一面に散らされているやつくらいなんだけど。タグを見てもアルファベットがならんだブランド名なんて読めないよ。
 やっとのことで名前も知らないブランドから無難な1枚を選び出した頃、こんこんと部屋のドアがノックされた。
「どうぞ」
 トメさんだとてっきり思っていたのに、開いたドアから入ってきたのは克巳さんだった。
「やぁ、お邪魔します」
 お邪魔しないでください。お願いですから。
 そんな心の中の悲鳴を奇麗に隠した顔で、彼を迎え入れるとベッドの上のドレスの山に気づいたようだった。
「あれ?」
「トメさんに言われて、ドレスを選んでる最中なんです」
 言外に今忙しいので帰ってくれと伝えるつもりだったのだけど、ふと克巳さんの手にあるものを見て悲鳴をあげたくなった。
「なんだ、せっかく持ってきたのに」
「ま、まさか」
「君に似合うと思うんだけど」
 克巳さんの手元には、ベッドの上にあるのと似た様なカバーのついたドレスが一着あった。


 有無を言わさず着替えさせられ「うん、やっぱり似合う。今晩はそれがいいよ」とニコニコニコニコッと脅されたら、言い返すことなんて不可能だ。
 途中で優成さんや双子も乱入してきたけれど、克巳さんが一睨みすると彼らは文句を言うのをやめてさっさと退散していった。長男は強し。というか、やっぱりこの人は天使の皮を被った悪魔というか、狸か狐だ。穏やかそうな顔して腹に一物抱えているに違いない。
 ピアスの穴は空いていないというと、急ごしらえながらとてつもなく高そうなイヤリングとネックレスも揃えてもらうことになった。
 レンタルですよね?と聞いたけれどあの克巳さんの笑みからすると、本物も有り得そうな気が。
 そこまで考えたところで悪寒がしたので思考を中断した。

Tuesday, December 2, 2008

愛とはかくも難しきことかな08

 体調を崩している間は双子は静かで居てくれたようで、保健室から家に帰ってきた後はしばらく顔を見ることもなかった。
 代わりに克巳さんがお見舞いと銘打ってよく顔を出す以外は、わりと平和だったと言えるだろうか。
 優成さんとは少し仲良くなった。どうやら厳めしい仮面を外すと、兄弟の中で一番付き合い易いのが彼なのかもしれない。
「それで、パーティにはどのドレスを着ていくつもりなんだ?」
 熱が37度と微熱の域まで下がった頃、お盆に果物を乗せてやってきた優成さんが聞いてきた。
「パーティ?」
「言わなかったか?父の会社の創立記念だと」
「えっ、そうなんですか?」
 二人分乗せてあるところを見ると、どうやら一緒に食べるつもりで持ってきたらしく、可愛らしい爪楊枝が二つ、奇麗に切り分けられたリンゴの上に刺さっている。その一つを咀嚼しながら、驚きに声をあげた。
「そのためにドレスを買いにいく予定だったんだろう」
 そういうことだったのか。
 まさか自分がパーティに出るなんてこれっぽっちも思っていなかったのだけど。そもそも双子のどちらかに「本当に出られると思ってるのか」と言われたので、出られるわけがないとてっきり思っていたのだけれど。
 あぁ、しかし。出るとなればまた双子に嫌みを言われそう。
「優成さん、そのパーティ出なきゃだめですか?」
「何故?」
「何故って、だって私は未だこの家の人間ではないですし」
 自分はまだ正式には養子にはなっていない。お父様、ならぬ自称父親—私はまだ彼が父親とは認めていない—に再三早く認めて欲しいと言われているけれど、手続きにはガンとして首を縦には振らないようにしている。
 後見人になってくれるのは嬉しいけれど、やはり自分は思い出にある両親の子供としていたいのだ。
「そんなこと気にするな。あの父のことだから、何とでも言って君を皆に紹介するだろう」
「いえ、でも、私庶民ですし」
「ただ食べ飲みが無料の立食会だと思えば良い。挨拶周りは父と克巳兄さんがするだろ。弟達は毎年友達とホテルの部屋に早々に引き上げるし」
 その立食会なんて言うものに参加したことがないというのを解ってくれないだろうか。大体、知り合いのいないパーティなんて出てどうするというんだろう。双子にチクチク言われて、胃の痛みを堪えながら立ったままご飯を食べるのなんて、全然楽しそうには思えない。
「心細いのだったら俺の傍に居ればいい」
「え?」
「どうせ俺だってそんなに知り合いが居るわけじゃない」


 と、そう言ってくれる義兄もどきが居たからこそ行く気になったのだけれど。
 嘘つき!
「優成さん、この間のお茶会は……」
「優成さん、お聞きになりました……」
「優成さん」「優成さん」「優成さん……」
 次から次へと奇麗な女性が彼に声をかけていく様を、萌はつまらない思いで眺めていた。俗にいう壁の花という立場になりながら。
 壁際には椅子があって助かった。慣れないヒールで少し足先が痛かったのだ。
 着慣れないドレスも胸元が開きすぎていて、居心地が悪い。自信過剰かとも思えるが、すれ違う異性が皆自分の胸元を眺めて行っている気がするからだ。それどころか豊満なバストを揺すりながら歩くお姉様達には鼻で笑われている気がする。
 そもそもこのドレスを着ることになったときからツイていなかった。