Wednesday, February 25, 2009

愛とはかくも難しきことかな27

「嘘じゃないよ」
「だって…」
 似合わないドレス着せて。…キスまでして。あんなこと悪ふざけでなきゃできないではないか。
「だって?」
「……何でもありません」
「信用してくれないの?」
「できません。でも、もう良いんです」
 どうせ、もうすぐ出ていくつもりなんだし。今更この人と表面上だけの和解なんてしても、意味がない。
「ふーん」
 克巳さんは唇を尖らせて、拗ねた顔で前を向く。
「じゃぁ、信用してくれるまで、家に帰らない」
「は?」
 そう言った彼は、シフトノブを握る左手でガコンとギアを入れ替えた。途端に身体に重力がかかる。ブオン、と大きな音とともに車が青信号で発進した。
「か、克巳さんっ!」
 突然スピードをあげる彼に、悲鳴のような声で名を呼んだが、振り向かない。彼は楽しそうに運転している。車のことはよく分からないけど、あきらかにスピード違反じゃないのだろうか。こんなに運転の荒い車に乗ったのは初めてだ。
「い、家に帰らないって、嘘ですよね」
「さぁ、どうかな。今日は良いお天気だし、良いところ連れていってあげるよ」
 まるで飴を上げて子供を攫う変質者のようなことをいう克巳さんを本気で恐ろしく思えた。その彼の向こうでは、何台もの車が通り越されて行く。
「帰りましょうよ、ねぇ、克巳さん。お願いですから」
「だって信用してくれないんだよね?」
「信用します、もう嘘つきなんて言いませんから!」
「本当に?」
 道は高速沿いの国道だ。越した信号の上に高速道路の入り口の表示が見えてますます焦る。
「本当です。疑いません。お願いですから、ね、お願いですから帰りましょうよ」
「そっかー。うん、そうだねぇ」
 にこにこ笑っている彼ははっきりと答えてくれない。あわあわとシフトノブにかかる彼の手の袖口を掴む。力を混めてしまえば克巳さんの運転の邪魔になるので、そんなことはできず、微妙にすがるように引っ張る。
「克巳さんっ」
 もう駄目だと思って、ぎゅっと目をつぶった。しかし、ぎりぎりのところで車が車線変更して高速の入り口から外れた。
 それでようやく克巳さんの袖口を握っていた手を離して、ふぅと息を吐いて額に浮かんだ冷や汗を拭いた。座席に深く腰掛けて、運転している彼を見やると、なんだか楽しそうな顔をしていた。まるで悪戯が成功して喜ぶ子供のような顔。この人は一体何歳だったっけ。
 車が家路についたのを確認できると気が抜けてしまった。
 疲れた。
 早くこの家を出たい。今日、御堂の父に会えたら、私はこの兄弟から逃れられるのだ。
 優成さんのことは結構好きだったけれど、やっぱり相容れないことは多いし、寂しくなるけれど離れることは良いことだと思う。
 私は、どこか違う場所で、自分に合った道を歩むのだ。


 そう心の中で誓いながら家についたのだけれど。
「まぁまぁまぁ、なんて格好されてるんですか」
 トメさんに出迎えられた玄関で、矢田さんに借りたTシャツとズボンにトメさんが大げさに驚かれた。確かに華奢なハイヒールにはまったく似合っていないけれど。
「これ、ドレスなんですが、クリーニング行きですか?」
 手洗いの表示があったかどうか分からない克巳さんに貰ったドレスを、矢田さんに貰った紙袋ごと渡すとトメさんは心得たように受け取ってくれた。
「そういうのは私がやっておきますから、温かいお風呂でも入ってご自分のお洋服に着替えていらっしゃいまし」
「あ、あの、お父様にお会いしたいのですが」
「旦那様はお出掛けになられましたよ。夜にはお戻りになられます。それよりも、そんな格好でお会いしたら心配なされます。着替えてらっしゃいまし」
「はい…」
 どうやって父に話を切り出そうか。それよりも、怒られたらどうしようと思うと、胸が緊張で疼いていたのに、出かけたときいて拍子抜けしてしまった。
それから、胸のなかにムカムカとした気持ちが湧いてくる。
やっぱり嘘つきではないか。
克巳さんは家で御堂の父が心配していると言っていたのに。

Tuesday, February 17, 2009

片恋番外

「—………ごめん、俺、好きな奴いるから」
 目の前の女の子に申し訳ないと思いながらも、きっぱりと告げる。
 彼女は気丈に笑顔を保ちながら頷いて、足早にさっていった。
 はぁ、とため息が漏れる。
 見上げた空は、今にも雨が降り出しそうなくらい曇っている。まるで自分の心模様のようで、余計に陰鬱とした気分にさせる。
 どうして人の気持ちとはこうも上手くいかないんだろうか。そう思いながら、自分も教室に戻るために、校舎裏から踵を返した。

 教室から荷物を取ってきて下駄箱へ向かったとき、見覚えのある姿が隣の列から出てくるのを見つけて声をかけた。
「吉原」
 くるり、とこちらを向いた彼女の長い黒髪がふわりとなびく。
「樋川じゃない」
「今帰りか?」
「うん、なんか雨振りそうでしょ。図書館に居たんだけど傘持ってきてなくって」
 困ったように笑う彼女に胸が高鳴るのを隠しつつ、一緒に帰ろうと誘った。


 なんとなくじっとりとした空気が雨の前触れを感じさせる。冷たい風が頬を撫でる。湿度のせいで余計に寒く感じる気がした。
 いつ降り出してもおかしくない空に吉原は心配なのか何度も見上げている。その横顔を、形の良い頬を目で追いながら話しかけた。
「久しぶりだな。高校に入ってから、あんま接点ないし」
「そうだっけ?」
 そうなのだ。クラスは離れてしまったし、中学に比べるとクラス数が多いせいか余計に遠く感じる。そんなことで寂しく思っているのは自分だけだろうけど。
「元気にしてた?」
「まぁまぁ。そっちは?」
「まぁまぁだね」
 ふふ、と笑って彼女はそう答えた。
 高校に入って皆髪の毛を染めたり、化粧をしたりしているけれど、吉原はあんまり中学の頃から変わっていなくて、どこか幼い感じがする。それとも、同じ高校に来た他の中学の奴らが大人びているだけなのだろうか。
 見習って自分もそれなりに見た目に気を使っているし、池谷も髪の色が薄くなった。瀬名は化粧が濃くなって、少しケバい感じになってしまった。美人は美人なのだが個人的には元の方が可愛いと思うのだけど。池谷は気にしていないし瀬名の周りも皆そういうタイプの女子が集まっているので仕方ないのかとも思う。
「お前、好きなやつできた?」
「どうして?」
 唐突に聞いてしまったせいか、吉原はきょとんと首を傾げる。
「なんとなく」
「なにそれ」
 池谷のことは諦めたのか、と聞けなくてそういう聞き方をしただけに、理由は言えず、彼女は憮然とした俺を見てぷっと笑い出す。
「樋川こそ、モテモテなくせに、彼女いないの?」
「いねーよ。つか、モテモテとかなんだよ。モテてねーよ」
 なんとなく気恥ずかしくて悪態をつく。すると吉原は人の悪い笑みを浮かべた。
「うそばっかり、今日放課後呼び出されたんでしょ」
「な、なんで知ってんだよ」
「木下さん、可愛くて有名だもの」
 今日、告白してきた子の名前まで知っていたのかと愕然とする。どちらかというと知られたくなかった。勿論、女の子も振られたことなんて皆に知られたくないだろうし、振った手前彼女に恥をかかせたくはない。
 大体、可愛くて有名なのはお前じゃないか、と心の中でぼやく。
 中3の頃までは肩で揃えていた髪を、今では背中にかかるくらいまで伸ばして。陸上部も止めてしまったせいか、色も白くなってきて、男子の中では清楚で可愛いと人気なのだ。性格の良さは中学の頃からだし、いつ吉原が告白されるのかとハラハラしているこちらの思いも察して欲しい。勿論、本当に察されると困るのだが。
「それで、付き合うの?」
「付き合わねーよ、俺、好きな奴いるもん」
 言ってしまってから、はっとする。慌てて撤回しようとしたが、別に誰を好きだといったけでもないし、慌てる方が変かと思い直して、隣を歩く彼女をちらりと見る。そこで、こちらを見上げる黒目と目が合い、一瞬どきりとする。
 吉原は柔らかく笑った。
「樋川、好きな人いたんだ」
 その言葉に、多少傷つくがわざと「なんだよ、居たら悪いか」と悪態をついて誤摩化した。
 別にこれくらい、どうってことない。池谷のことを好きな吉原をずっと見ていた中学3年だったのだから。
「お、お前はどうなんだよ。池谷のことは諦めたのかよ?」
「ん?うーん、そうだねぇ、どうかな」
 誤摩化すつもりなのか、吉原は言葉を濁した。
 その時、雨が一雫ぽつりと降ってきた。
 ぽつ、ぽつ。
 それからぱらぱらと、だんだん強く降り出してきて、俺は急いで吉原の腕を掴むと駅に急いだ。



 駅のホームで電車を待っている間も、電車に揺られている間も、なんとなく二人の間に口数が少なくなった。最後に聞いた質問のせいなのか、と俺は内心焦った。もしかして、気を悪くさせてしまったのかも、と。
 雨は強くなる一方らしく、自分たちの最寄り駅で降りた時には外は土砂降り。さすがに歩いて帰るには教科書を濡らさずにいられないようで、二人して顔を見合わせた。
「傘買ってかえるか?」
「ううん、勿体ないから親に迎えに来てもらう。車で来るから樋川も乗っていきなよ」
「いいのか?」
「うん、もう連絡してあるから」
 その代わり、あと20分くらいかかるらしいけど、と彼女は申し訳なさそうに言った。濡れないで帰れるのなら願ってもない、とその案に乗る。勿論、もっと吉原と一緒に居たかったし、吉原の親に会ってみたかったからだけど。


 ざぁざぁと降り続く雨を見つめながらぼうっとしていると、ぽつりと吉原が言った。
「樋川は、どうしてその子のことが好きなの?」
「え、なんだよ、突然に」
 焦る俺を見て吉原は笑う。
「樋川、木下さんを振っちゃうくらい、その子のこと、すごい好きなんだよね」
「当たり前だろ」
「好きな人がいるのに、他の人と付き合うのっておかしいよね?」
「は?」
 どういうことだ、と彼女を見るといつのまにか笑みは消えていて、表情の読めない横顔は雨を見ていた。
「このあいだね、告白されたの。断ったんだけど、諦められないって、お試しでいいから付き合ってくれって」
「え、マジかよ」
 誰だ、俺の吉原に告ったやつは。
「おかしいよね、好きな人がいたら、他の人となんて付き合えないよね」
「お前、なんて返事したんだよ」
「無理だって言ったよ。ちゃんと断ったら、一応納得してくれた」
 もう少しで告白した相手の名前を聞いて殴りに行こうかと思ったところで、その答えを聞いてほっと気持ちを落ち着けた。
「でもね、私、思ったの。あぁ、この人も一緒なんだなって」
 その吉原の言葉に、ぎくりとする。
「私の池谷を好きな気持ちはきっと報われないけど、この人の想いは、私が頷くだけで報われるんだって。私が感じる苦しい想いをこの人も同じように感じてるんだって」
「だ、だからって付き合うのは、問題外だからな。お前には相手に気持ちがないんだから、付き合ったって相手は結局報われねーじゃん」
「そうだよね。でも、お試しって言われたとき、本当は少しだけ心が傾いたの。私、一体いつまでこんな想いを引きずるんだろうって」
 吉原は、はぁと息を吐いた。その息が白く曇って消える。
「池谷が好き。でも奈津子のことも好き。二人とも大切な友達だと思ってるし、お似合いで幸せそうだから、いつまでも一緒に居て欲しい。でも、きっと私、いつも待っているんだと思うの。奈津子が他の人を好きになったり、池谷が何らかの理由で奈津子と別れるのを」

 ぴちゃん、と足下で水が跳ねる。
 その音でずっと自分が息を止めていたのに気づいた。
 吉原は相変わらずどこを向いているのか分からない目で外を眺めている。
 何かを言おうとしたけど、何と言えば良いのか分からなくなって口を閉じた。
 冷水と熱湯を一気に浴びたような感覚で目眩がしそうだった。
 今の言い方だと吉原は池谷のことを諦めようとしているのかもしれない。チャンスじゃないか。何と言えば良い?何と言えば、吉原が池谷を諦めるだろう。俺を向いてくれるようになるのだろう。
 でも。
 でも、彼女は同時に池谷を諦めることの難しさを噛み締めているのだ。
 3年近く池谷のことを好きだった吉原。その想いがどれだけ強くて重いものなのか、ずっと見てきた自分には分かる。
 意地悪な思いで別れれば良いと思っているわけじゃない。ただ、もしも、何分の一かの確立で池谷と瀬名が別れたら。そしてやっと自分の方を振り向いてくれる日が来たら。そう考えずにはいられないのだ。
 俺は?俺は、いつか吉原が池谷を見つめるのを諦める日を見ている。いつか俺の方を向いてくれる日をずっと夢見ている。
 今日、木下という子に告白されたときも、俺の想いは揺らがなかった。
 吉原は相手の男に何と言われたんだろう。あんなに池谷だけを見ていた彼女が不安に思うほどの言葉をかけたのだろうか。
 指先をぎゅっと握りしめる。
「俺は……」
 口を開けば掠れた声が出た。
 情けないけど一度んんっと咳払いしてから、気を取り直して続きを言う。
「俺は、吉原はそのままで居れば良いと思う」
 吉原は、え、と顔を上げてこちらを見た。
「気持ちは変わるかもしれない。もしかしたら池谷と瀬名は別れるかもしれない。その前に吉原に他に好きな人ができるかもしれない」
「そんなこと…」
 あるわけない、と言いかけたのだろうか。吉原は、でも戸惑ったように、指先を唇にあてて考え込むように黙った。
「きっと、その時が来ないと分からない。吉原にも、誰にも。でも、俺は、お前は無理に自分を変えなくて良いと思う。諦めようとしたり、好きでもないのに他のやつと付き合ったり、そんなことしなくていいと思う」
 吉原が昔、池谷と瀬名のことを想った気持ちが今になって分かる。
 結局俺と吉原は同じところを歩いているのだ。好きで、好きで、たまらなく好きなくせに、結局相手が幸せでいてくれることを祈ってしまう。
「俺が付き合ってやる。お前の片想いに。お前が、納得できるまで、さ」
 これが、人を好きになるという気持ちなのだろうか。切なくて、苦しい。でも、暖かくて、優しい。傷つけたくない、傷ついて欲しくない。笑っていて欲しい。
「きっとさ、いつかお前が気づくよ。お前のことを想ってくれる、俺みたいに良い男がいることにさ。そしたら、池谷よりも、そいつのこと好きになれるよ」
 それは俺かもしれない。違う男かもしれない。でも俺であれば良い。吉原が最後に選ぶ男が俺であれば良いと、心の底から願っている。
 吉原は、しばらくぽかんとしていた後、頬を赤くして照れたみたいに笑った。
「樋川みたいに良い男って、何それ。確かに樋川は良い男だけどさ」
 その笑みはいつかとは違って、本当に俺を見て笑ったんだなと思うと、馬鹿みたいに嬉しくなった。


 
 好きだ。
 
 好きだ。
 

 俺は吉原が好きだ。

Sunday, February 15, 2009

優しい人第五話

5.

 土曜日、朝の11時から愛実はエミのお気に入りのセレクトショップに来ていた。
 カジュアルな服から小物、靴まで何でも揃っている。一度雑誌で有名人御用達と書いてあったような気もするのだけれど。エミの好みはそういう場所が多い。
「アーちゃん、こんな服はどう?」
「た、高いよ」
「お小遣いいっぱい貰ってるじゃない。せっかくだから使わないと!」
 値札が1万円を軽く越すような服ばかりを押し付けてくるエミに弱々しく反論しながらも、試着室で数枚着替えてみると、エミの見立ての確かさを示すように自分に似合っていた。
「わぁ、可愛い!」
 外で待ち構えていたエミが手を叩いて褒めてくれて、少しだけ買ってしまおうかという気になる。
 スカーフやネックレスなどを試着した服の上に合わせながらエミは首をひねる。
「アクセサリーはこれが良いんだけどなぁ」
「あたしピアスの穴は開いてないよ」
「だよねぇ。でも最近イヤリングって中々売ってないし……」
 中学生の頃に母に強請って耳に二つ穴を開けたエミは、いつも可愛いピアスを付けている。槌谷も幾つも開けているし、たまに開けたいとは思うのだけれど痛そうなのでなかなかその一歩が踏み出せない。
 高校はアルバイトなどは厳しいけれど、服装に関してはそれほどでもない。
 成績が悪ければ色々言われるようだけれど、エミが注意されたことがないのを見るとピアス程度は大丈夫らしい。
「ま、いっか。とりあえずこのくらいで」
「え?」
「すいませーん、この服着て帰るんでタグ切って下さい」
「え、え?エミ?ちょっと、何言って」
「いいから、いいから」
 店員がやってきてささっとタグを切り取って行くと、出てきた領収書にエミが手早くサインをしてしまった。いつのまにクレジットカードを渡していたんだろう。
 顔見知りらしい店員とエミがニ、三言葉を交わして二人は店を出た。
「エミ、困るよ、ああいうの」
「いいのいいの、うちのパパに請求が行くから」
「それこそ困るよ。お父さんに怒られるかも」
「祥二パパはきっと気づかないから大丈夫だよ」
 それはあるかもしれない。お母さんに関係のある時以外はほとんど書斎に閉じこもっているような人だし。
 バレないといいなぁ、と思いつつため息をついた。
 
 軽いニットのベストを半端袖のシャツの上に重ね、下はふわふわの白いスカート。鞄は朝エミが貸してくれたブランド物のポシェット。髪の毛はお母さんが奇麗にお団子にしてくれたし、エミが軽く化粧もしてくれた。
 不思議なことに化粧をすると、顔の造作は似ていない筈の自分たちの顔が双子のように似る。ということは化粧をすれば自分も可愛くなったということなんだろうか。
「アーちゃん?」
「あ、ううん」
 エミの声にはっと我に返って、慌てて思考を現実に戻した。
 最近やけに自分の外見にこだわっているような気がする。どうしてなんだろう。
 中学の頃はエミと比べられたって気にもしたことがなかったのに。




 お昼ご飯はエミのお勧めだというイタメシ屋で食べて、お腹をこなすのを目的にまたぶらぶらと買い物に出たとき、見知らぬ人達に引き止められた。
「すいませーん、ちょっと良いですかぁ?」
 カメラを持った二人連れだった。男の人と、女の人。一瞬警戒したところに、エミが「あれ」と声を上げた。
「あら、あなたもしかして、エミちゃん?」
「そうです。ノンノンの佐々木さんですよね」
「まぁ、奇遇〜!一枚良いかしら。こちらの子は?もしかして双子だったの?」
 知り合いだったのか、とほっとしたところにいきなり自分に話題の矛先が向いて、愛実はびくっとする。
「妹のアーちゃんです。良いですよ、一枚くらい。アーちゃん、雑誌のストリートスナップなんだけど、良いよね?」
「え、う、うん」
 よく分からなかったけれど頷くと、はい寄って寄って〜と佐々木と呼ばれた女の人にエミと寄り添うように言われた。エミと手を握り合ってよく分からないポーズになったところで、笑って〜て言われ、笑えているのかも分からない表情を取る。
 カシャ、カシャ、と数枚撮ったところで開放された。
 その後エミと佐々木さんは服のトークに入ってしまう。
「この服、あそこのでしょ。すごく似合ってるわ」
「そうなんですよ、こっちは最近話題のあの店で…」
 元々口べたな上にまったく興味のない話題で、手持ち無沙汰で二人が話し終えるのを待っているとカメラマンのお兄さんが話しかけてきた。
「ねぇねぇ、お姉さんとは何歳離れてるの?」
「え…あの…年子、ですけど…」
「そうなんだ、双子みたいにそっくりだね」
「そ、そう、ですか…」
「エミちゃん最近すごい人気出てきたよね。顔も小ちゃくてスタイル良いし、彼女はこれからもっと大きくなるよ」
「はぁ…」
 何の話か分からなくて適当に相づちを打っていると、彼は一人で頷いている。
「君はモデルやらないの?」
「え」
 その言葉でやっと彼が何の話をしているのか気がついた。
 エミがモデルをやっているなんて初耳だ。いつから?
 もしかして最近ずっと忙しそうに出かけていたのはそのせい?
 お母さんは知っているんだろうか。多分、知らないと思う。自分が知らないということは、母が知らないと思って良い筈だ。
 エミはどうして今まで教えてくれなかったんだろう。
「アーちゃん、ごめん、盛り上がっちゃって」
「あ、ううん」
「じゃぁ、二人ともありがとうね。多分来月の分に載ると思うから」
 二人は次の被写体を探すために忙しなく去っていった。
 その後ろ姿を見送った後、愛実はエミを振り向いた。
「エミ…」
「あはは、バレちゃった?」


 とりあえず話をしようと近くのカラオケに入った。カフェに行っても良かったけれど、お腹がいっぱいだったので飲食店に入る気にはなれなかったのだ。
 それに、カラオケボックスなら室内で二人だけで話ができる。
「…どうして教えてくれなかったの?」
 隠していたことは一応後ろめたかったのか、エミはストローを噛みながらちらりと上目遣いで愛実を見た。
「だって絶対ママにバレたくなかったんだもん。アーちゃん、ママに言わないでくれる?」
「え、それは」
「お願い、お願い、アーちゃぁん」
 勿論お母さんに心配させないためにも言うつもりだったのだけど、必死に頼み込まれてうぅと言葉につまる。
「り、理由による。ちゃんとした理由があるなら、言わない」
「えぇー。理由も言わなきゃ駄目?」
「駄目。じゃなきゃ、言っちゃうからね」
 ぶーと頬を膨らませてエミは文句を言うので、きっぱり答えた。アルバイトは禁止なのだ。モデルなんて先生にバレたら退学になってしまうではないか。それでなくともカメラのお兄さんが、最近人気が出てきてると言っていた。
「絶対に誰にも言わないでね」
 真剣な顔でいうエミにこくりと頷いた。
「アーちゃん、エミね、何か自分を証明できる物が欲しいの」
「…え?」
 その言葉はあまりにもエミの口から出てくるには似つかわしくなくて、予想もしていなかった答えについ尋ね返してしまう。
「ど、どうして?エミは何でも持ってるじゃない。証明なんて必要ないよ」
 理不尽さを感じた。自分を証明できるものが必要なのは愛実のような人間だ。エミはなんでも持っている。可愛くて、友達も多くて、勉強もちゃんとできて。勉強しかできない愛実とは違う。
「アーちゃん。ママは美人だよね。年のわりに断然若く見えるし、それだけじゃなくて内面も美人だよね。教養もあって、優しくて、しかも良い大学出てて、仕事もできて、お金も持ってて」
「うん」
 どうして突然お母さんが出てくるのかは分からなかったけれど、頷く。
 そう、なんでも持っている人の鏡のような人だ。お母さんはとても恵まれた人。
「みんなママのことが大好きになる。パパも祥二パパもアーちゃんも、…みんな」
「でもエミもみんなに好かれてるよ。あたしからしたら、エミもママも同じタイプに見えるけど」
「でもあの人の一番はママなの!エミは一番になりたいの。エミはママを越したいの!」
 ばん、とエミがテーブルを叩く音が室内に響いて、沈黙が降りた。
 

Thursday, February 12, 2009

バレンタインの落とし穴 前編

 バレンタインも近くなった2月最初の週。
 どことなく世間も浮ついた雰囲気を醸し出しているのに、彼は周りと違って一人陰鬱そうにため息をついていた。
 休憩用の仕切り内でコーヒーを片手に、座っている彼を見たのは、偶然だった。
 きっと普段だったら恐れ多くて話しかけられなかっただろうけれど、あまりにも沈んだ表情だったので気になってしまって放っておけなかったのだ。
「主任」
「三浦か…」
 顔を上げて、こちらを見上げる彼の顔はやはり浮かない。
「どうかしたんですか?」
「いや、うむ」
 何か言い辛そうにコーヒーカップの飲み口を齧っている姿は少し珍しい光景だ。子供みたいで可愛いな、と思っていると彼が口を開いた。
「……ちょっと聞きたいんだが、やはり、バレンタインデーっていうのは、女の子にとっては大切な日なのかな」
「は?」
 あまりに突然な質問に、素で聞き返してしまうと、主任はすぐにしまったという表情になった。それを見て、こちらも焦る。
「あ、あの、そうですね、一般的に愛を告白する日ですから」
「そ、そうか、やはりそういうものか」
 バレンタインがどうかしたんだろうか。そういえば毎年たくさん貰っていたような気がしたけど。
「誰かに告白されたんですか?」
「いや、うむ。まぁ、違うんだが、その」
 なんだか歯切れが悪い答えだ。いつもはとても覇気のある人なのに。
「その、姪が、な」
「姪御さん?」
「チョコレートを作ると張り切っているんだ」
「はぁ、そうなんですか」
 主任は30歳くらいだから、姪御さんというと5歳くらいか、大きくても小学生くらいだと思うけど。小さいくらい可愛い女の子が頑張って主任のためにチョコレートを作っているのを想像するとなんだか微笑ましい。
「良いじゃないですか、可愛い姪御さんで」
「そうなんだ。可愛いんだよ、目に入れても痛くないくらい可愛いんだよ」
「は、はぁ」
 でれでれと言う彼に、言っては悪いが少し引いてしまう。家族の人、ロリコン疑惑とかないのかな。そんなことを思っていたら、主任はいそいそと携帯の写真を見せてくれる。
「わぁ、可愛い」
 主任の可愛がりようが分からなくもないかな、と思えるくらい可愛い女の子だった。うん、これは確かに。小学生なのかランドセルを背負っている。
「モモっていうんだけど、すごい良い子でな、バレンタインの意味を教えたらおじちゃんのために作ってあげるって張り切ってしまって」
「何か問題があるんですか?」
「俺は甘いものが苦手なんだ」
「え、そうだったんですか?いつもお土産とか貰ってるじゃないですか」
「家に持って帰って家族にあげたり、友達にあげたり」
 そんな他の人に回すくらい嫌いなんだったら一言言えば良いのに。
「いや、一度言ったんだが、皆忘れてしまうし、土産もらうたびに言うのも失礼だろう」
「まぁ、そうですね」
 お土産を貰う前に『甘いものはやめてくれ』ていうのは失礼かもしれない。
 その時、ぽっとあることを思い出した。
「主任、知っていますか?」
「ん?」
「人間が甘さを感じるのは、舌の先の部分なんですよ」
「え、あぁ、そうなのか」
「反対に苦さを感じるのは、奥の方なんですって。私、小さい頃から苦いお薬が苦手で、頑張って奥の方で飲み込もうとしていたんですけど、実はそれって逆効果だったんですよね」
 主任は最初何の話をしているのか分からなかったらしく、ぽかんとこちらを見ていたけれどそのうち気づいたのか、はっと顔を輝かした。
「つまり口の奥で含めばだったら甘さをあまり感じないってことか」
「まぁ、多少はってことですけど」
「そうかそうか。なんだ、そんな簡単な解決法もあったんだな。どうもありがとう、小野、君のおかげで少し心が軽くなったよ!」
 悩みが解決したのか、主任は立ち上がるとこちらの手を両手で握ってお礼を言った後、明るい足取りでその場を去っていった。
 握られていた手を、ふと見下ろす。
 一応ああいうのはセクハラに入るんじゃなかろうか。
 でも嫌じゃなかったから良いか。
 それよりも、姪御さんにビターチョコをお願いした方が主任にとっては効果的だったのではないかと思ったのは家路についてからだった。勿論、ビターチョコが嫌いな自分がそんなアイディアを思いつかなかったのは十分当たり前だと思うけど。

Sunday, February 8, 2009

愛とはかくも難しきことかな26

「優成、萌ちゃんは僕が連れて帰るから、お前は自分の迎えで帰れ」
「なんでそうなるんだ」
「僕は萌ちゃんを迎えに来たんだ。お前は迎えを呼んだんだろう」
 睨み合う兄弟の間で、萌は止めに入ることもできず、おろおろと立ち往生していると、克巳さんの停めた車の後ろにもう一台見覚えのある車が止まった。
「ほら、迎えが来た。お前はあっちの車で帰れ」
「兄さんはどうしてそんな意地が悪いんだ」
 御堂家の運転手の佐々木さんはメルセデスを降りて、こちらから数メートル離れたところで待機している。
 優成さんはしばらく沈黙した後、言っても引きそうにない克巳さんに、仕方なさそうにため息をついた。
「……ちゃんと家まで送り届けてくれるのか」
「勿論さ、父さんが待っているって言っただろう」
「分かった」
「ゆ、優成さん」
 ということは、私は克巳さんと帰りの車は二人きりということだ。それは絶対避けたかったのに。
「おいで、萌ちゃん」
 助手席のドアをわざわざ開けて促される。優成さんを言い負かして満足そうな克巳さんの笑みが、薄ら寒い。
「わ、わわ私も、優成さんと一緒に」
「萌ちゃん」
 優成さんに背を押され慌ててその腕にしがみつこうとすると、優成さんに目線で止められた。
「萌、大丈夫だから行け。……兄さんが本気で怒る前に」
 ぼそり、と付け足された言葉に、慌てて克巳さんの車に飛び乗る。
 克巳さんは佐々木さんがよくしてくれるように、乗った後車のドアを閉めてくれた。それから優成さんと二言、三言交わして運転席に乗り込んできた。
 エンジンをかける音だけが車内に響く。それから静かに車が発進した。

 落ち着かない。
 革張りの助手席は、佐々木さんのメルセデスと同じくらい座り心地が良い。送迎車でないせいかどことなく狭いけれど、輪っかが四つ並んだエンブレムは確か外国産の高そうなメーカーだった気がする。そもそも御堂家の人が安い国産車に乗っているわけはないし。
 ダッシュボードに消臭剤らしきシルバーの置物なんかがあるのは個人の車っぽい。今まで佐々木さん以外の運転する車に乗ったことがあまりなかったので、少し物珍しい感じがする。
「優成の友達の家はどうだった?」
「え、あ、あの、まぁ、良くして頂きました」
「そう」
 聞いてきたわりに、興味の無さそうな相づち。それ以上続けても意味がなさそうだったので、それだけで話を切った。
 怒っているらしい、というのは分かる。どうして怒っているのかいまいち分からないけれど。大体にして怒っていたのは自分ではなかったか。
 もそもそとシートベルトをいじくっていると、赤信号で車を一旦止めた克巳さんがこちらを見た。
「どうしたの、萌ちゃんらしくないね。落ち着かない?」
 そりゃぁもう。昨日の最後に啖呵を切って別れたのに、普通に接してくるあなたが気味悪くて仕方がないんです。落ち着かないに決まってるじゃないですか。
 優成さんがいなくなったせいか、克巳さんはまた元の穏やかな仮面を被り直したらしい。表面的には優しい兄を演じている彼の仮面。
「克巳さんは…」
「ん?」
 もそもそとシートベルトで遊ぶ指先をそのままに、聞いた。
「克巳さんは私のこと嫌いなのに、どうして優しい振りをするんですか」
 一瞬空気が凍った気がした。ほんの一瞬。克巳さんの顔を見上げると、相変わらず穏やかな表情。
「振りなんてしてないよ。僕は君に優しくしたいから、優しくしているだけ」
「嘘だ」
 本当に振りじゃないのなら、私の言葉に多少動揺しても良い筈なのに。克巳さんの顔には嘘の笑みだけ。本当に優しい人だったら、そんな顔しない。

Tuesday, February 3, 2009

愛とはかくも難しきことかな25

 矢田さんを見送って、しばらくテレビを見た後、10時を過ぎた頃に優成さんがやっと起きてきた。
「矢田は?」
「大学に行きましたよ」
「そうか。どうする、家に帰るか」
「はい」
 携帯で誰かに迎えを頼むと、優成さんは顔を洗うために洗面所に行った。
 昨日の服が一式入った紙袋を片手にいると、すぐにインターフォンが鳴る。迎えだと思って、壁についた画面を覗くと、思わぬ姿を見て仰け反ってしまった。反射的に隠れたくなったが、向こうにこちらの姿は見えてないことを思い出し、すぐに優成さんのところへ行った。
「ゆゆゆ優成さん、克巳さんが迎えに来てるんですけど」
「兄さんが?」
 タオルで顔を拭いていた彼も、まさか克巳さんが来るとは思っていなかったのか、少し驚いたようだ。
「どどどどうしましょう」
焦って尋ねる間にも、インターフォンが立て続けに鳴らされる。
その音に顔をしかめながら、優成さんは「とりあえず降りるか」と言った。


 矢田さんに昨晩借りた服のまま降りてきた二人を見て、マンションの入り口に立っていた克巳さんは眉根を寄せた。
 それから、つかつかと優成さんの近くまで行くと、腕を振り上げた。
 昨日の双子の様に叩いてしまうのかとはっと息をのんだ萌に、寸での所で優成さんが拳を受け止めた。
「兄さん、事情も聞かずに殴ることないだろう」
「無断外泊、しかも萌ちゃんを巻き込んで」
「一応連絡した筈だ」
「許可した覚えはない。……帰るよ、萌ちゃん」
 優成さんに止められた手を振り払い、それから克巳さんはこちらを振り向いて手を差し出した。その手を握る気はまったくなかったので、克巳さんの怒りが怖くて優成さんの背に隠れた。それだけ克巳さんは怒っていた。
 そして思った通り、差し出した手を無視した萌に彼は眉間に皺を寄せる。しかし強引に引きずって家に連れ帰られるかと思ったけれど、彼は落ち着いたままの態度で萌に話しかけた。
「萌ちゃん、父が心配してるよ」
 その言葉に心が跳ねた。兄弟に会いたくなくて家に帰らずにいたけど、そのことを御堂の父はどう感じただろう。きっと呆れられてしまった。駄目な子だと思われてしまったかもしれない。
 ぎゅっと優成さんの服の裾を握った。
 怖い。
 御堂の父にもいらないと思われたら。
 おかしいな。ついさっきまで御堂の家を出ると決心したばかりなのに。
 でも嫌われたくない。御堂の父のことは好きだし、唯一祖母が亡くなった後面倒を見てくれた人だったから恩も感じている。がっかりさせたくない。
「萌、父には俺から事情を話してやるから心配するな」
「優成さん……」
 萌の考えていたことを理解したのか、優成さんは安心させるように彼女の頭を撫でた。そして萌も信頼を示すように彼に撫でられて表情を緩める。
 その様を見て克巳さんは小さく舌打ちした。