Thursday, April 30, 2009

愛とはかくも難しきことかな34

24時間営業のファミレスに入ると、宮内は何でも頼んでもいいぞと言った。一番お腹に溜まりそうなハンバーグセットとメロンソーダを頼むと、ぷっと笑われた。
「お子様メニューじゃねぇか」
「でも大人サイズだもん」
べー、と舌を出して応酬すると、彼は何故かツボに入ったのか肩を振るわせて笑っている。しばらくそうして一通り笑い終えた後、彼は咳払いをして、真面目な表情に戻った。
「で、何があったんだ?」
「…言わなきゃ駄目?」
「あのな、16歳の高校生が、ホテル街でウロウロしているのを捕まえた可哀想な保健の先生の気持ちになってくれ」
「見逃せば良いじゃん」
「馬鹿。できるか。しかもそれがお前だったから尚更だ。なぁ、何があったんだ。俺はお前の事情は一応知ってるつもりだ。言うだけ言ってみろよ、何か助けになれるかもしれないだろ?」
「なるかな…」
「まぁならなかったら、そんときゃそんときだ」
その時頼んだ飲み物が来たので一度会話を切った。メロンソーダの上に乗っているアイスをつついて沈め、緑色にそまった部分をスプーンで掬う。小さい頃から、おばあちゃんとたまに外食したときに頼むこの飲み物が大好きだった。
御堂の家のご飯は美味しい。トメさんの料理の腕は素晴らしいし、たまに御堂の父が連れていってくれるレストランも美味しい。
でも、私は、この安っぽい味が好きなのだ。コンビニのお菓子とか、駄菓子とかそういうのも。気取っていなくて、庶民らしい味。
そういえば、気心の知れる友達と放課後に買い食いをしたり、小物屋さんを覗いたり、最後にそんなことをしたのはいつだっただろう。御堂の家に移ってからは移動は全部家の車で、大抵の場合家と学校の往復だった。寄り道なんて滅多にしないし、そんなことをしようものなら双子に後々ねちねちといじられるのが分かっていたからだ。
センチメンタルな気分になると涙腺が緩んだ。ぽろぽろ泣きながらメロンソーダをつつくこちらを見て宮内は焦った顔をする。
「お、おい、泣くなよ、頼むから。ほら、これで拭け」
咄嗟に手元にあったナプキンを差し出し、涙を拭くように言う姿を見て思わず笑った。
「泣くか笑うか、どちらかだけにしてくれよ。頼むから」
「だって、宮内格好悪い」
これが克巳さんとかだったら絶対に奇麗にアイロンされたハンカチを差し出してくれるところだけど。レストランの紙ナプキンがガサガサして肌にあたると少し痛かった。本当に可笑しい。
「すんませんね、ハンカチを持ち歩いてない男で。いいんだよ、最近のトイレはハンドドライヤーがついてるんだから」
格好がつかなく笑われたのが恥ずかしかったのか顔を赤くして言い訳をする宮内を見て、少しほっとする。これが普通の人の反応だ。御堂の家と学院がおかしいだけで、宮内は私と同類なんだ。
「あのね」
「なんだ」
「御堂の父はね、私のこと、家の道具にするつもりで引き取ったみたい」
「はぁ?!」
なんとなく重かった気分が少し浮上して、御堂の家に帰れとも言わない彼を少し信用して打ち明けると、目を見開いて驚いたようだった。
「え?はぁ、家の道具って?」
「なんか、婚約させるって言ってた」
「え、政略結婚?って今頃あんのか?」
「あるみたい。家の繋がりがって、言ってたもん」
良かった。学院で養護教諭をやっていても一般人の常識はあるみたいだった。

Wednesday, April 29, 2009

愛とはかくも難しきことかな 閑話2

今に揃っていた僕たちに部屋に入ってきてから気がついたのか、戸口で彼女がびくっと震えた。
少し迷った後、強張った顔で居間に入ってくる。
双子は明らかに歓迎していない態度だし、優成に至っては興味がないとばかりに視線すら動かさない。
可哀想になって、とりあえず手招きをして空いていたソファに腰掛けるように言うと、幾分かほっとしたように頷いて僕たちの輪に入った。
「あの、突然お邪魔することになってしまって、すみません…」
「本当だよ。突然すぎるっつーの」
「す、すみません」
双子の言葉に彼女は恐縮したように縮こまった。
こいつらはいつまでたっても子供っぽくていけない。まるで小学生みたいな態度だ。
「ていうか、なんで御堂に来ようと思ったわけ?やっぱ金なの?」
「誰に何言われたか知らねーけど、俺たちは歓迎なんてしないからな」
「わ、私は、御堂のお父様に、実の子だと言われて」
「それこそおかしくないか?お前、妾腹の子だって言われて、わざわざ本家にやってくるか?」
「何企んでるんだよ、今だったら見逃してやるよ」
あーぁ。彼女はついに涙目になってしまった。
双子は完璧に彼女のことを疑っていて、はなっから唯一の肉親が死んでしまって一人になった可哀想な子という可能性は考えていないらしい。
確かに夕食時に観察していただけでは、どちらかというと良家の子女という方が、孤児よりも似合っていそうな子だけれど。
ちくちくと虐めている双子に嫌気がさしたのか、優成は静かに席を立って出ていってしまった。関心がないから助けもしないらしい。
「なぁ、兄さん。妾腹なんて恥ずかしいよな」
「え?あ、あぁ」
優成の出ていく姿を見送っていたせいか、突然話しかけられてよく分からないけれど返事をすると、双子はほら見ろ、と萌ちゃんに向き直った。
「父さんに妾が居たなんて知れ渡ってみろ、御堂の恥になるんだぜ」
「迷惑なんだよ」
どうやら妾の子扱いをして、相手が怯んでこの家を出ていくことを期待しているらしい。それか彼女の化けの皮を剥がすことを期待しているのか。
相変わらず二人揃って幼い陰険さがある。
「二人とも、そのヘんにしておけ」
「なんだよ。克巳兄だって同意したじゃないか」
止めの手を入れると双子は虐めたり無いのか、反論してきた。しかし一睨みするとすぐに黙った。
「萌ちゃん、君、本当にうちの養子になる気なの?」
「…いえ、御堂のお父様には成人まで扶養してもらって、戸籍自体は渡辺に置いたままにしてもらうつもりです」
「ほら、やっぱり…」
双子はそれみたことかと背中からつついてくる。養子に入らないのは、婚約者候補だからだと真剣に信じているらしい。
「それなら、それで良いけど。そうだね、君が父の実子だという件は、他言しないでいてくれると助かるな。やはり父に妾が居たなんて話しが出回るとスキャンダルだからね」
「…はい」

Tuesday, April 28, 2009

愛とはかくも難しきことかな 閑話1

 能面のような表情をした、日本人形のような彼女が御堂の家に来たのは夏の初めだった。

「この子は渡辺萌ちゃん。お前達の妹になるから面倒見てやるんだぞ」
「よろしくお願い致します」

 呆気に取られる四兄弟の前で、父は嬉しそうな顔で彼女を紹介した後、トメさんに彼女に家を案内するように言いつけた。
 二人が居間から去ったあと、まず双子が一番の疑問をぶつけた。
「父さん、妹ってどういうこと?」
「言葉通りだ。彼女を今まで育ててくれていた方が亡くなってしまったので、僕が引き取ることになった。今日からお前達の妹になる。それから、彼女は僕のことを本当に父親だと思ってるから、そのことについて口外しないように」
「つまり僕たちの本当の妹じゃないってこと?」
「そうだ。だが、彼女には僕が本当の父親だと言って引き取ったから、そのことを彼女には言うんじゃないぞ」
 話しはそれだけだ、と父は彼女とトメさんの後を追うためにその場を去っていった。
 残された僕たちは、顔を見合わせて眉間に皺を寄せた。
「どう思う?」
「なんで突然知り合いの娘を引き取るんだ?しかも実の父親のフリなんかして」
「思惑の匂いがぷんぷんする」
「もしかして、あいつ隠れ婚約者だったりして」
「御堂家に花嫁修業とかいって送り込まれたとか」
「妹のふりして俺たちの中の一人とあわよくばくっ付けと」
「こないだ一也が新田との婚約断ったから」
「相二も断ったじゃねーか」
 双子がそっくりな顔で睨み合って馬鹿なことを言い合ってるのを横目に、優成を見ると目が合った。その途端彼は「興味ない」と短く言って居間を出ていった。
 基本的に兄弟中で一番女性に人気があり、いつも周りを恐そうなお姉様方に固められているせいか優成は異性に興味があまりない。それどころかうんざりしている節がある。だから彼が新しく増えた家族に興味を示さなくてもおかしくはない。
 しかし父の真の思惑はどこにあるのだろうか。
 会社の将来を考えている時は冷酷なまでに計算する人だが、プライベートだからといって情けをかけて知り合いの娘をわざわざ引き取るだろうか。
 そもそも渡辺なんて知り合い聞いたこともない。
 何か気になるな、と顎に手をあてた。

「いただきます」
 初めての夕食を一緒に取ることになり、さりげなく彼女を観察してみた。
 手を合わせたあと、奇麗に箸をすくい上げ、器に軽く触れて食べ始めた。畳敷きの和食卓で奇麗に正座をして背を伸ばしている様は慣れたもので、食事のマナーも完璧だった。
 優成はともかく、末の双子は母が早くに亡くなったせいもあってトメさんが甘やかしたものだから、マナーのレベルでいうと新しい妹の方が上らしい。今も双子で嫌いなものを皿から皿へ移し合っている。
「萌ちゃん、転校の件だけど一也と相二が同じ学年にいるから、困ったことがあったら二人に言うんだよ」
「はい。お二人とも、よろしくお願いします」
 能面のような顔は相変わらずだ。
 父に言われたせいか双子は嫌々オーラを隠しつつ彼女に頷いて返す。
 大人しいタイプなのか猫を被っているのか、彼女は口数少なく父に話しかけられ失礼にならない程度に答えを返す以外はあまり喋らなかった。
 食事が終わった後彼女はトメさんが片付けるのを手伝おうとしたようだが、断られて僕たちが揃っていた居間にやってきた。

Monday, April 27, 2009

愛とはかくも難しきことかな33

 どちらの決心も付かないまま、あからさまなネオンのついた道へ入ろうとしたとき。
「おい!」
 後ろからぐいっと上腕を掴まれて、肩を組んで萌を引きずるように歩いていた男から引き離された。
「な、なんだ、おまえ」
「補導だ。あんたこの子に何しようとしてたんだ、おっさん」
 補導の言葉を聞いたとたん、男はすごい速さでその場から逃げていった。なんて速い逃げ足なんだと呆れていると、頭の上からもため息が降りてきた。
「お前、何してるんだ」
「え、宮内!」
 てっきり警官かと思っていたのに、聞き覚えのある声だと振り向けば見知った顔があった。
「先生をつけろと何回言えば分かるんだ、お前は」
 髪の毛の後ろをがりがり掻きながら、彼はまた大きくため息をついた後、雰囲気をかえてじろりと睨みつけてきた。あまり見たことのない迫力にうっと一歩後ずさると、彼は逃がさないぞとばかりに距離をつめてくる。
「こんな怪しい場所でこんな遅い時間にあんな変な男と、なーにーをーしてたんだ」
「み、宮内には関係ないじゃない」
「先生だっつーの!じゃなくてだな、お前な、俺が本当に補導警官だったらどうするんだ。お前面倒みてもらってる身で保護者呼べんのか」
「いいの!関係ないの!あの人達とはもう関係ないの!」
 そう怒鳴って、近くに寄ってきていた宮内を力任せにどんっと押した。
 宮内は保険教諭のくせに体育教師のような体格をしている。だからそんなにダメージは受けず、バランスを崩し二三歩後ろに下がっただけだった。
「お前、どうしたよ。その格好もおかしいし、家でなんかあったのか?」
「…」
 宮内を信用しても良いのだろうか。
 適当に言い含めて電車賃だけ貰えたりしないだろうか。いや、でも携帯電話で家に連絡されたら厄介だ。どうしよう。
 爪をガリ、と噛みながら考えていると、宮内はもう何度目にかになるため息をついた。
「とりあえず、どっか入るか。こんなところで二人突っ立っていても目を引くしな」
 そう言われてから、自分たちがホテル街の入り口あたりにいることに気がついた。
 喧嘩中のカップルだとでも思われたのか、一組のカップルがくすくすと笑って通り過ぎていく。
 昼から何も食べていないことに気がついて、唐突にお腹がなった。
 宮内にも聞こえたらしく、苦笑いをしながら付いて来いと言った。

Sunday, April 26, 2009

愛とはかくも難しきことかな32

走って、走って、息が続かなくなっては歩いて、御堂の家から離れることばかりを考えながら進んでいたらいつのまにか人の多い繁華街の方へ着いていた。
疲れた。
喉が渇いたけれど、一休みしようにもお金はない。喫茶店の中で休憩している人達を羨ましく思いながら、その傍の遊歩道のベンチに腰掛けた。
誰にも見つからないようにそうっと玄関口から出たから靴は履いているけれど、財布などを取りに行くことは失念していた。それよりも逃げることばかり考えていたから。
頭が痛い。酸欠なのだろうか。
ガンガンと鳴り響く頭痛のせいか思考がまとまらない。
御堂の父は私に利用価値があるから引き取ろうとしたんだろうか。祖母はどうして彼に連絡するように言ったのだろう。どうして私は御堂家で嫌われ者なんだろう。母が御堂の愛人だったから?これからどうしたら良い?行く宛はない。頼れる人なんてこの街にはいない。祖母と暮らしていた場所はここから県を超えた場所で、昔の友達に会いに行くなんて電車もバスにも乗れないんだから無理だ。ヒッチハイク?アメリカのカントリーロードじゃあるまいし。
どうしよう。
どうしよう。
もうすでに薄暗くて、部屋着のワンピース一枚だけでは肌寒い。
遊歩道の街路灯に明かりが灯っていく。デート中のカップルや、家族連れが幸せそうに歩き去っていく姿を横目に膝を抱えた。

日が沈んでから数時間経つと、段々と人気が少なく成ってくる。
夜はホームレスのたまり場なのか浮浪者のような格好の人達が多くなり、怖くなって場所を移動することにした。
明るいほうに、明るい方にと進んだせいか歓楽街のネオンがちかちかと光る場所に辿り着いた。至る所に人が溢れていて、待ち合わせしている人達、ただたんに道ばたで戯れている人達、見せの呼び込みのスタッフ達が忙しなく行き来する。
周りにもたくさん同じような人がいたので、自分も植え込みのレンガに座った。
たまに明らかに部屋着なワンピース姿でいるのが変なのか、じろじろと見てくる人がいて居心地の悪さもあったが、肌寒さは人ごみのせいか紛れて感じ、それからこの人ごみならば御堂の人達が探しに来ても分からないだろうという安心感もあって緊張を解いた。
それから数十分くらいした頃、隣に一人座る気配がした。
なんとなく視線を感じてちらりと横を見ると、見知らぬ30代くらいのおじさんがこちらを見ていた。
目が合うと彼は親しげに笑いかけてくる。
「ねぇ、きみ、ひとり?」
「え?…そうですけど」
嫌らしい感じはしなかったから、とりあえず返事をする。
実際おじさんというよりもお兄さんでも通るくらいの年齢だった。克巳さんは27歳でまったくお兄さんという外見だから、この人は多分30代半ばくらいなんだろうか。
返事をしたことに気を良くしたのか、1mくらい開いていた感覚を詰めて近くに座ってきた。
「なんかワケありっぽいね」
「そうですか」
「家出してきたの?」
馴れ馴れしいく、唐突に嫌なところを突いてこられて、むっとした顔をすると彼は気にした風でもなく笑った。
「財布も持ってこなかったんだ」
「だから、なんなんですか」
「お金、欲しくない?」
「変なバイトならしませんよ」
一瞬でも爽やかそうな人だと思った自分を後悔した。
夜の街によくいる勧誘だ。こういう人に着いていっちゃいけませんと子供時代に祖母から何回も言い聞かされたし、着いていって死体になって川に浮かんでたりすることもあるらしいのですぐさま断った。
けれど彼はしつこく諦めない。
「変なバイトじゃないよ。ホテル行ってちょこっと触らしてくれるだけで3万円。ね、簡単でしょ?」
「ちょこっと触るだけで終わるなんて信用できるわけないじゃないですか」
「あ、じゃぁ6万円。ね、別に初めてじゃないんでしょ?ちょっとくらい良いじゃない」
「なっ、初めてに決まってるでしょ!何がちょっとよ」
「あ、初めてなんだ。じゃぁ10万!ね、奮発して10万出すから!」
「いい加減にして下さい!」
しつこい人間に捕まったと、植え込みから立ち上がろうとしたとき、彼が腕を取って引き止めてきた。
「家出中なんでしょ、10万あったら1ヵ月は持つよ。ね、どう?」
その言葉に一瞬抵抗するのを忘れる。
10万。
なんておいしい金額だろうか。
それだけあれば地元に帰れる。しばらくネットカフェにでも寝泊まりできる。
「やっぱ10万だったらいいんだね。じゃぁ、いこいこ。あっちに奇麗なラブホ知ってるからさ。やっぱ初めてだったらひどいところは嫌だよね」
「…」
手を引かれて、歓楽街の奥へと連れて行かれる。その間ずっと頭の中は葛藤ばかりだった。
こんな見知らぬ他人、しかもおじさんに、お金のために身を売っていいのか。ちょっとだなんて言っていたがそれだけで済むわけがない。大体にして売春は違法行為だ。でもこの場合相手が罪に問われるけれど自分は問題ないかも。でも、もしもこれが堕落の一歩だったら?このまま普通の生活に戻れなくなったら?もしも、この人が入れ墨関係の人で、いつのまにかキャバクラとかに売り渡されたら?
変な想像は留まるところを知らず、背筋がぞっとする。
それに法律や道徳の問題とかじゃなくて。
私の身体。
初キスも触られるのも御堂の兄弟に盗られちゃったけれど、最後の初めての経験だけは死守したのに。こんなところでこんな人に渡しちゃっていいのかな。
でも。
どうしよう。
お金。
御堂の家に帰りたくない。
あぁ、どうしよう。

Friday, April 24, 2009

愛とはかくも難しきことかな31

「何してるんだ」
 一瞬静かになったところに、長男の声が割って入った。双子の拘束が緩んだので、仰向けに床に転がったまま目元を腕で隠した。
「克巳兄、こいつがっ」
「女の子に手を上げるなって、何回言えばお前達は聞いてくれるのかな」
 彼等の話し声が遠く聞こえる。
 こうやって目を閉じていれば、世界が遠い。
 何も見たくない。
 私のまわりはいつも嫌なことばかり。
 足音が去っていく音がしても寝転んだままでいた。3人とも出ていったと思ったのだけれど、身体の下に誰かの腕が回されるのを感じて目を開けた。
「大丈夫?」
 克巳さんは静かにそう言うと、軽々と私の身体を抱き上げた。
「ここは鍵もないし良くないね。休めるところに行こうか」
 どうでも良い。彼の言葉を無視して目を瞑り身を任せると、彼はどこかへと歩き出した。


 連れていかれたのは離れの、どこかモダンな内装の部屋だった。
 ベッドや机があることから個人の部屋であることが伺える。連れてきた相手が克巳さんなのだから、そこが彼の部屋なことはすぐに気がついた。
 奇麗に整えられた大きなベッドの上に降ろされる。
 彼はベッドの端に腰掛けて、手を伸ばしてきた。何をされるんだろう、と一瞬身構えると彼は苦笑しながらその手を私の頭においた。
「お腹すいてる?」
「いえ…」
 さっきまで少し空腹を感じていたけれど、今はもう食欲がなくなっていた。
「気持ちが落ち着くまでここにいると良いよ。鍵もかかるし、双子が邪魔しにくることもないからね」
「……」
「どうかした?」
「…いえ」
 この人のこの優しさも、きっと嘘なんだ。そう思うと返事をするのも億劫になってくる。
 どうしてこんな所まで連れてこられなきゃ駄目なんだろう。
 離れの中には入ったことがなかったからいつも興味はあったけれど、こんな風に連れてこられるなんて皮肉だ。
「僕は昼ご飯を食べてくるから、気持ちが落ち着いたら出ておいで」
 そう言って克巳さんは部屋を出ていった。
 ベッドの上に寝そべったまま、寝返りをうちまた目を閉じた。

 どのくらいそうしていただろうか。
 日が少し傾いた頃、表の方で車が帰ってくる音が聞こえた。御堂の父だ。
 身を起こして、そろりと部屋の周りを伺ってから、廊下に出た。本邸と違って中は真新しいせいか、歩いても床は軋まない。足音を忍ばせて母屋に帰るため離れを繋ぐ渡り廊下を目指していると、御堂の父の声が聞こえた。
「…えちゃん…か……けど」
 自分の名前を聞いた気がして足を止める。
 どうやら渡り廊下の向こう側の廊下を、克巳さんと御堂の父が歩きながら何か話しているらしかった。だんだんと近づいてくる声に、傍にあったお手洗いの中にとっさに身を潜める。
「父さん、それはどうかと思うよ」
「どうしてだい?尾畑の息子はとても良い子だ。成績も良いし」
 今いち自分とどう関わりのある話なのか分からず、もしかすると自分の名が出たのは気のせいかと手洗いの前を去っていく彼らの後を追おうと、廊下へ出ようとしたとき。
 聞こえてきた言葉に一瞬自分の耳を疑った。
「尾畑のコネクションは大切だ。もしも萌ちゃんがあの家との橋渡しになってくれれば、うちの社も今しばらく安泰になるだろう」
「パーティで見初めた出会いなんて安っぽいな」
「いいじゃないか。合わなければ止めれば良いんだし」
 二人が去っていった後も、しばらくお手洗いの中で動けなかった。
 寒気が足下から上ってくるような、気持ち悪い感覚が全身を満たしていく。
 信じていた何かが根底から崩れていくようで、震える身体を抱きしめてそろりと廊下に出て、早足でその場を離れた。

Thursday, April 23, 2009

愛とはかくも難しきことかな30

 パタン、と部屋の襖を閉めた。
 ぎゅっと両手を握りしめる。
 未だに変な気分が抜けない。深呼吸を何度かすると、大分ふわふわした感じが抜けてきた。
 ちょっとショックだっただけだ。
 優成さんは昨日と同じことを言っただけだ。
 知ってた筈じゃないか。御堂の兄弟は私のことを嫌いなんだって、最初の日から分かっていたじゃないか。
 昨日誓ったじゃないか。出ていくんだ。こんな家出ていくんだ。
 高校だって友達もできないし、家の中でだってずっと安心できないし、こんな所に未練なんかない。優成さんが言いたいのもそう言うことだ。庶民には庶民の暮らしが似合っているんだって、そういう意味じゃないのかな。
 克巳さんだって、双子だって心の底では馬鹿にしてるんだ。
 そうだ、克巳さんだって今日もまたふざけていただけだ。もしかしたら双子と何か企んでいたのかもしれない。あの人が優しくするときは何か魂胆があるときだけだ。
 御堂の父は私のことなんか心配していない。そうだ、心配していたのなら、今日だって家に居て帰ってきたときに一言声をかけてくれただろう。
 どうして私はこんなに馬鹿なんだろう。
 何を想像していたんだろう。

 居ないんだ。
 この世界には、私のことを気にかけてくれる人なんてもう居ないんだ。
 物心ついた頃には両親はいなかった。唯一面倒を見てくれた祖母はもう居ない。

「げ、泣いてる」
「うわー、泣いてるよ」
 潜めた声だけど、十分こちらに聞こえる声音で喋るのが聞こえて顔を上げると、いつのまにか襖が少し開いていて双子が顔を除かせていた。
 一番見られたくない二人に泣いてる姿を見られて、慌てて袖口で目元を拭った。
「何か御用ですか」
「べっつにー、優成兄に出ていけって言われてどんな顔してるかなって思っただけ」
「用がないなら出ていって下さい」
 つん、と顔を背けると二人がむっと顔をしかめたのが横目で見えた。
「なんだよ、慰めてやろうと思ったのに」
 慰めるじゃなくて、貶めるの間違いじゃなかろうか。
「トメさんがご飯ができたと言っていましたよ。早く行ったほうが良いんじゃないんですか」
「お前も行くんだろ」
「私は遅れるので先に食べておいてくださいとトメさんに伝えて下さい」
 今は優成さんに会いたくない。
 彼の顔を見れば泣いてしまうかもしれない。そんな醜態を晒したくない。
 考えていたらまた涙が滲んできた。
 未だに襖のところから動かない二人を見つけ、苛々とした気持ちが溜まってくる。
「早く出ていって下さい!」
 怒鳴っても動かない二人に近くにあったクッションをなげつける。力任せに投げたそれは、二人には当たらず襖に当たって跳ね返った。
「な、なんだよ、せっかくちょっと可哀想かなって思ってやったのに」
「あなたたちに哀れに思われる筋合いはありません!大体、この家で私が一番嫌いなのはあなたたちですから!」
 苛々が止まらない。溜まっていた鬱憤が決壊したダムのように、酷い言葉になって流れ出す。そうだ、私はずっとこの二人が嫌いだった。
「いつも意地悪ばかりして、たまに暴力まで振るってきて、人の嫌がることばかりして。私が何も言わないからって、何をしても良いと思わないで下さい!大体、見分けのつかない双子なんて気持ちが悪いんですよ。同じ格好して人を惑わせるのがそんなに楽しいですか!」
「なんだよ、俺たちの見分けがつかないんじゃなくて、お前が見分けられないんだろ」
「見分けたくなんかないですよ。あなたたち二人は私に嫌なことしかしてこないですから、見分けたって無駄なんです!」
「このっ」
 顔を怒りの色に染めた双子が腕を振り上げた。それをクッションで受け止める。
 でも二対一ではやはり勝てずに、振り回していたクッションは取り上げられて、床に腕を縫い付けられた。
 涙に濡れた顔を隠す術はなく、二人が顔を覗き込んできた。それを見たくなくてぎゅっと目を閉じる。噛み締めた唇から自分の涙の味が少しだけした。
 嫌いだ。
 あぁ、消えてほしい。いや、消えてしまいたい。どうして私はこんなところで口論してるんだろう。どうして私はこの家に居るんだろう。どうして今までこの家に居たんだろう。
 嫌いだ。嫌いだ。全部嫌いだ。この家に居るひとみんな、いや、この世界が全部憎い。
 どうして。酷い。おばあちゃん。どうして死んじゃったの。どうして私は御堂の家に居るの。どうしてこんな酷い世界に私を残していくの。

Friday, April 10, 2009

片恋番外 2

 あたしは、池谷が好きだ。

 池谷を見ると、胸がきゅっと締め付けられて苦しい。息が苦しくなって、心臓がどきどきして、どうにかなってしまいそうなのに、それが何故か心地良い。まるで麻薬のような人だ。

 格好良いか、と聞かれたら、欲目を含めつつもやはり頷いてしまうと思う。
 だって格好良いのだ。その姿勢が。奈津子を真剣に見つめる眼差しが。
 もしも。
 もしも何億分の一の確立で、池谷があたしをそんな風に見てくれる日が来たら。そう思うと夜も眠れなる。


 しとしと、校庭に降り注ぐ雨は止むことを知らずに、いくつもの水溜まりを作っていく。どんよりとした空模様はまるで心の中を映す鏡のようだ。


 最近、人生で初めて告白というものをされた。
 高校に入って同じクラスになって初めて知り合った彼とはあまり話したことはなかった。親しいとか、そういう以前の問題で、そんな人が自分のことを好きになってくれることがあるのかと驚いた。

 断ってしまってからも、以前からの距離とあまり変わらない、そう近くない距離をお互い保っている。気まずくなったと言えばそうかもしれないが、元々あまり視界に入ってくる存在ではなかったから、そこまで気になるほどではない。

 それはまるで、私と池谷のよう。
 私は今まで一度も池谷に自分の気持ちを告げたことはないけれど、きっともう彼は知っているんだと思う。奈津子が言ったのか、樋川が言ったのか、それとも私のあから様な態度に自分で気がついたのか。
 高校に入ってから、ほとんど話すこともない。
 奈津子とはすれ違うときに立ち止まって少し話しをすることはあるけれど、まったく友達のグループが違うせいもあって、以前ほどの近さはなくなった。
 勿論、以前からそこまで仲が良いこともなかったけれど。
 私たちの話題に池谷の名前は軽く上がるけれど、奈津子からは無言の圧力を感じる。『池谷は私の物よ。取らないで』。そんな気持ちがひしひしと伝わってくるから、あたしは余計に池谷の周りには近づけない。
 奈津子は昔あたしと樋川の関係を疑ったこともあるし、好きな人のことは独り占めしたいタイプなんだと思う。あんなに奇麗なんだから、心配しなくても男子は皆奈津子に夢中なのに。

「吉原」
 廊下を歩いていると後ろから名前を呼ばれた。聞き慣れた声。振り向くと、思ったとおりの人が近くの教室の窓から顔を覗かせていた。
「樋川」
「移動教室か?」
「うん。これから化学なの」
「げー、俺化学とか苦手」
 彼は最近何故かよく声をかけてくる。
 樋川は池谷の親友で、いつも近くに池谷がいるせいか気まずくて息苦しい。今も、隣で他の子と喋っている。なんとなく俯きがちでいると、勘違いしたのか樋川が「気分が悪いのか」と聞いてくる。
 首を振ると、大きな手が伸ばされて額に触れた。
 ひんやりとした体温が触れた部分から広がる。
「熱はないみたいだな」
「本当に、大丈夫。それより、あたし、そろそろ行かないと」
「しんどくなったら保健室行けよ」
「うん、ありがとう。じゃあね」
 踵を返して数歩進んだ頃に溜めていた息を吐き出した。
 今日は池谷を近くで見れた。ちょっとだけだったけれど、それだけでも嬉しい。
 毎日心の中で数えている。池谷を見かけた日はいつもより幸せ。すれ違えた日はもっと幸せ。言葉を交わせた日はもっともっと幸せ。
 樋川の近くは気まずくて息苦しいけど、でもやっぱり有難い。あたしの気持ちを汲んで話しかけてきてくれているんだろうから、良い人だ。奈津子が昔好きだったというのも頷ける。
 ふと、樋川のひんやりとした大きな手を思い出す。
 冷たい手の人は心が暖かいと言うけれど。そんな風に見えないのにいつも優しそうな雰囲気を纏う彼を思い出し、モテるんだろうな、とふと思う。
 中学の時からそれなりに人気のある人だったけど。奈津子然り、樋川もそれなりにオーラのある人だった。この間も告白されたらしいし。
 女子には近寄りがたい人なんだけど、中学の頃に何度か勉強を手伝ってあげたせいか、あたしには気安く話しかけてくる。
 あの人に好きな人がいるというのも不思議な感じだ。
 一途そうというよりは、告白された子と付き合って気が合わなければ別れそうなタイプなのに。
 でも、一途だからこそ、あたしの池谷に対する気持ちを理解してくれるのかも。
 本当に良い男だと思う。
『いつかお前が気づくよ。お前のことを想ってくれる、俺みたいに良い男がいることにさ。そしたら、池谷よりも、そいつのこと好きになれるよ』。
 いつか、そんな日が来るだろうか。

Monday, April 6, 2009

愛とはかくも難しきことかな29

 暖かいお風呂に浸かると沈んでいた気分も少しだけ上昇した。
 部屋着のワンピースを着て廊下に出ると、美味しそうな香りがする。気がつけばもうお昼の時間で、そういえばお腹が空いたなと思いキッチンに顔を出した。
 トメさんが忙しそうに料理を作っているので手伝いを申し出ると、軽く断られた。もう何回か手伝いましょうかと申し出たことがあるけれど、一度も受け入れられたことはない。
「お嬢様はそんなこと気にしなくて良いんですよ。それよりもリビングでテレビでも見ていて下さいな」
 そう言われて渋々とその場を去る。
 純和風なお屋敷は一部を除いて全部畳みか木の床なのだけど、改築されたキッチンやリビングはモダンな家具が和の中に奇麗に調和されている。後は克巳さんとお父様が寝泊まりしている離れは洋風とまではいかないけれど、内観は今風の家だった。中に入ったのは一回ほどだけど。
 リビングに入ると、ソファに優成さんが座っていた。
「おかえりなさい」
「あぁ」
 とりあえず、自分より後に帰ってきたのだから、と挨拶をすると彼は気にした風でもなく頷いた。矢田さんに借りた服はサイズが小さかったのもあってか、すでに着替えている。
「お風呂入るんでしたら、空いていますよ」
「いや、部屋でシャワー浴びたからいい」
 お手洗いの数が多いのは和屋敷だからだと思っていたけど、お風呂場の数ももしかして多かったり。自分の部屋にはお手洗いもお風呂場もないのでメインの大きな場所を使っているけど、滅多に他の人が使っていなさそうなのはそのせいなのか。
「座らないのか?」
「え、あ、どうも」
「昼食はあと10分くらいでできるって言ってたぞ」
「そうですか」
 リビングのソファに腰掛けると、柔らかい革地に沈むような感触がした。すごいふわふわだ。そういえば、今までリビングなんて避ける様にしていたから、このソファにも座ったことはなかった。
「兄さんとは特に何もなかったのか?」
「え、はぁ、まぁ」
 あったといえば、あった。けれど、それを優成さんに説明するのは難しくて言葉を濁す。
「そうか」
 その返事をどう取ったのか、優成さんは考え込むように顎に手を当てた。
「…昨日の夜のことだけどな」
「え」
 昨日の夜啖呵を切って寝たことを今更ながらに思い出してどきっと心臓が鳴る。
 顔を上げて彼の方を見ると、優成さんは真剣な顔をして言った。
「やっぱりお前はすぐにこの家を出た方が良い」
「……それは、昨日の晩も聞きましたよ」
 一瞬心臓が鳴ったけど、精一杯、普通の顔を保って、言葉を返す。
 嫌われていることは知っているんだから。同じ言葉を二回聞いたからって二度目も傷つくことはない。そう自分に言い聞かせるように心の中で呟く。
「いや、そうなんだが。…そうじゃなくて、真剣にだな、俺はお前にこの家に居て欲しくないというか…」
 優成さんは言葉を選ぶように、途切れ途切れ言葉を紡ぐ。そしてその一言、一言が鋭く心に突き刺さるような痛みを齎した。
「……そう、ですか」
 やっと絞り出した声が少し掠れた。
 変なの。
 自分で自分の声が制御できないような。変な気分。ふわふわして、足下がおぼつかないような。
「やっぱり、お前は然るべき家に帰るべきだと思うんだよ」
——………然るべき家って何処ですか。
 祖母と住んでいたあの家ですか。確かに御堂の父曰く、未だに売られはせず空き家になっている筈だから、帰ろうと思えば帰れる筈。
 瞼の裏に祖母と過ごした小さな家が思い浮かぶ。帰れるものなら帰りたい。あの暖かい場所に、帰りたい。
「……お父様が帰っていらっしゃったら、お話してみます」
「そうか」
 ほっとしたように優成さんはそう言った。
「坊ちゃん方!お嬢様!お昼の用意ができましたよ」
「……お昼ができたみたいですね。私、部屋にタオル置きっぱなしにしてきたので、ちょっと取ってきます」
「あ、あぁ」