Wednesday, November 26, 2008

愛とはかくも難しきことかな06

『おばあちゃん、おばあちゃん』
『なんだい、めぐむ。騒がしいね』
 両親が亡くなり、祖母に引き取られた後の自分の家は、小さな日本家屋だった。
 廊下を歩くと床板が軋むのがしばらく怖かったのに、数年住んで慣れると、気にもしなくなっていた。
『あんたはもうちょっと大人しくしないと、嫁の貰い手がないよ』
『そんなことないもん。隣のクラスの山口君はメグのこと好きだって言ってたもん』
『はいはい。それで?何か用事だったんじゃないのかね』
 ご飯の用意をする祖母の背中は、小学生の頃の自分には大きく見えた。ダイニングのテーブルに腰掛けて祖母と喋るのは、夕飯前のお決まりの一時だった。
『うん、あのね宿題でね家族についての作文を書かなきゃ駄目なの』
『そうかい。そんであんたは何を書くんだい』
 台所で自分の背を向けたままの祖母はそう聞いてくる。
『えっとねぇ』
 死んだ両親との思い出や祖母の家に来てからのあれこれを思い浮かべながら祖母の背を見ると、なんとなくさっきよりも小さくなったように思えた。
 それから自分の身体を見下ろすと、いつのまにか前の高校の制服を着ている。身体付きもいつのまにか小学生から高校生に変わっていて、目を見開いた。
『何を書くんだって?』
 祖母にもう一度聞かれて、慌てて答えようともう一度祖母に目をやる。
 しかしその先にはもう祖母も台所もなかった。
 葬儀のために用意された黒い額縁にリボンが施された祖母の写真があるだけだ。
『おばあちゃん?』
 前の学校の制服を着た自分は不安になって祖母を呼ぶ。
『おばあちゃん、どこ?』
 祖母の写真の傍で、周りの暗闇に向かって何度も祖母を呼んだ。
 するとふと暖かい温度に包まれる。何故かそれが体温だと分かった。祖母の体温だ。祖母が抱きしめてくれている。
 体温はいつしか祖母の姿になり、やっと祖母の姿が見えて嬉しくなって縋り付くように祖母を抱きしめた。
『おばあちゃん、もうメグを置いていかないでね』
 両親の居なくなった後、唯一の家族で心の拠り所だったのが祖母だった。
 久しぶりの愛情の籠った抱擁に、心が温まる。幸せで幸せで、祖母が死んだことも見知らぬ他家に引き取られたことも全部夢だったんだと思った頃に、冷たい声が聞こえた。
『おばあちゃんはもう居ないんだよ』
『うそ!いるもん。メグを抱きしめてくれてるもん』
 顔をあげると、祖母だと思っていた姿が優成さんの姿に変わっていた。
『おばあちゃん?!おばあちゃんはどこ?』
『おばあちゃんはもう居ないんだよ』
 暴れてその腕から逃れようとする萌を容易く抱き込んで拘束すると、優成さんはいつものように感情のない声で囁く。
『その代わりお前には御堂の家があるだろう』
『いやっ。御堂の家なんて嫌い。皆メグのこと嫌いだもん。妾腹って馬鹿にして冷たいもん。おばあちゃん、お家に帰りたいよ。メグお家に帰りたいよ』
 優成さんに抱きついたままおばあちゃんに懇願する。おばあちゃんが優成さんに変身したのなら、またおばあちゃんに戻ってくれるかもしれないと思ったからだ。それでなくても周りは真っ暗で、その空間の中では優成さんだけが光に照らされていた。
『優しくされたら御堂の家も好きになるか?』
『あの兄弟が優しくしてくれるワケないもん。陰険に虐めてくる双子も、勝手に勘違いして怒ってる優成さんも、何か企んでるっぽい克巳さんも大嫌い』
『勘違い?』
 無表情だった優成さんが初めて驚いたように表情を変えたので、それに何となく人間っぽさを感じて、意気込んで言った。
『メグ、ドレスなんて買ってないもん。一也さんが買い物に行くなっていうから行かなかったのに。頑張って風邪まで引いたのに。相二さんはメグが辛いの無視して勝手に連れ出して、着せ替えごっこさせて。優成さんは全部メグが悪いっていうの。おばあちゃん、メグお金持ちなんて嫌だよ。おばあちゃんのお粥が食べたいよ。お家に帰りたいよ……』
 そうやって何度も何度も優成さんに頼んだけれど、結局祖母は戻ってこなかった。

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