Friday, April 10, 2009

片恋番外 2

 あたしは、池谷が好きだ。

 池谷を見ると、胸がきゅっと締め付けられて苦しい。息が苦しくなって、心臓がどきどきして、どうにかなってしまいそうなのに、それが何故か心地良い。まるで麻薬のような人だ。

 格好良いか、と聞かれたら、欲目を含めつつもやはり頷いてしまうと思う。
 だって格好良いのだ。その姿勢が。奈津子を真剣に見つめる眼差しが。
 もしも。
 もしも何億分の一の確立で、池谷があたしをそんな風に見てくれる日が来たら。そう思うと夜も眠れなる。


 しとしと、校庭に降り注ぐ雨は止むことを知らずに、いくつもの水溜まりを作っていく。どんよりとした空模様はまるで心の中を映す鏡のようだ。


 最近、人生で初めて告白というものをされた。
 高校に入って同じクラスになって初めて知り合った彼とはあまり話したことはなかった。親しいとか、そういう以前の問題で、そんな人が自分のことを好きになってくれることがあるのかと驚いた。

 断ってしまってからも、以前からの距離とあまり変わらない、そう近くない距離をお互い保っている。気まずくなったと言えばそうかもしれないが、元々あまり視界に入ってくる存在ではなかったから、そこまで気になるほどではない。

 それはまるで、私と池谷のよう。
 私は今まで一度も池谷に自分の気持ちを告げたことはないけれど、きっともう彼は知っているんだと思う。奈津子が言ったのか、樋川が言ったのか、それとも私のあから様な態度に自分で気がついたのか。
 高校に入ってから、ほとんど話すこともない。
 奈津子とはすれ違うときに立ち止まって少し話しをすることはあるけれど、まったく友達のグループが違うせいもあって、以前ほどの近さはなくなった。
 勿論、以前からそこまで仲が良いこともなかったけれど。
 私たちの話題に池谷の名前は軽く上がるけれど、奈津子からは無言の圧力を感じる。『池谷は私の物よ。取らないで』。そんな気持ちがひしひしと伝わってくるから、あたしは余計に池谷の周りには近づけない。
 奈津子は昔あたしと樋川の関係を疑ったこともあるし、好きな人のことは独り占めしたいタイプなんだと思う。あんなに奇麗なんだから、心配しなくても男子は皆奈津子に夢中なのに。

「吉原」
 廊下を歩いていると後ろから名前を呼ばれた。聞き慣れた声。振り向くと、思ったとおりの人が近くの教室の窓から顔を覗かせていた。
「樋川」
「移動教室か?」
「うん。これから化学なの」
「げー、俺化学とか苦手」
 彼は最近何故かよく声をかけてくる。
 樋川は池谷の親友で、いつも近くに池谷がいるせいか気まずくて息苦しい。今も、隣で他の子と喋っている。なんとなく俯きがちでいると、勘違いしたのか樋川が「気分が悪いのか」と聞いてくる。
 首を振ると、大きな手が伸ばされて額に触れた。
 ひんやりとした体温が触れた部分から広がる。
「熱はないみたいだな」
「本当に、大丈夫。それより、あたし、そろそろ行かないと」
「しんどくなったら保健室行けよ」
「うん、ありがとう。じゃあね」
 踵を返して数歩進んだ頃に溜めていた息を吐き出した。
 今日は池谷を近くで見れた。ちょっとだけだったけれど、それだけでも嬉しい。
 毎日心の中で数えている。池谷を見かけた日はいつもより幸せ。すれ違えた日はもっと幸せ。言葉を交わせた日はもっともっと幸せ。
 樋川の近くは気まずくて息苦しいけど、でもやっぱり有難い。あたしの気持ちを汲んで話しかけてきてくれているんだろうから、良い人だ。奈津子が昔好きだったというのも頷ける。
 ふと、樋川のひんやりとした大きな手を思い出す。
 冷たい手の人は心が暖かいと言うけれど。そんな風に見えないのにいつも優しそうな雰囲気を纏う彼を思い出し、モテるんだろうな、とふと思う。
 中学の時からそれなりに人気のある人だったけど。奈津子然り、樋川もそれなりにオーラのある人だった。この間も告白されたらしいし。
 女子には近寄りがたい人なんだけど、中学の頃に何度か勉強を手伝ってあげたせいか、あたしには気安く話しかけてくる。
 あの人に好きな人がいるというのも不思議な感じだ。
 一途そうというよりは、告白された子と付き合って気が合わなければ別れそうなタイプなのに。
 でも、一途だからこそ、あたしの池谷に対する気持ちを理解してくれるのかも。
 本当に良い男だと思う。
『いつかお前が気づくよ。お前のことを想ってくれる、俺みたいに良い男がいることにさ。そしたら、池谷よりも、そいつのこと好きになれるよ』。
 いつか、そんな日が来るだろうか。

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