Saturday, May 9, 2009

愛とはかくも難しきことかな 閑話5

 渡辺明代が信じた男は、御堂ほどではないがそれなりの家柄で、御堂の家で育ったせいかあか抜けていた明代に目をつけた。しかし結婚する気などは元からなかった。
 明代がその事に気がついた頃には腹に子供を授かっており、相手はすでに誰か他の女性と結婚をしていた。彼女は本当のことは言えず、結婚後も愛人関係を続けたいと言う彼の前から姿を消すことを決心した。同じ頃に母の珠子も亡くし、傷心のまま子を産んだ明代は、産後に体力が回復するとそのまま全てを忘れられるように遠くに引っ越した。
「父さんは今までずっと萌ちゃんの祖母にあたる明代さんと交流が続いていたんですか?」
「いや、明代さん達はこの街を去ってしまったし、疎遠にはなっていたんだけどね。数年前に、明代さんから何十年かぶりに祖父に連絡が入ったんだよ。自分に何かあったら孫を頼む、と」
「どうして萌ちゃんの父方に頼まなかったんだろう?」
「当時の詳しいことはよく分からないけれど、頼めそうな人はいなかったんだと思う。実際明代さんが死んだ時に弁護士から聞いた話では、萌ちゃんの父方の親族で連絡の着く人はいなかったらしいし。それに、僕のところなら金銭面で負担になることはないだろうから彼女の将来の心配もなかったんだと思う」
「なるほどね」
 確かに御堂の家なら子供を一人引き取ったところで、金銭的枷にはならない。萌ちゃんが気負わなくても十分なほどに面倒を見てあげられるだろう。
「祖父と一緒に会ったとき頭を下げて言われたんだ。家族になってやってくれって。萌は、親の記憶もほとんど無く、兄弟も親戚も居なくて可哀想だと」
——自分には御堂家があったけれど、萌には自分以外誰も居ない。だから、どうか家族になってやってくれないか。
「それは明代さんの娘家族が事故にあったとき、萌ちゃんが両親を亡くしたときのすぐ後だった。僕も祖父も引き取ることに関しては異論なかったから、もしもの時は頼って欲しいと返事した」
 それから十数年。明代さんも早いうちにこの世を去ることになった。まるでその時のことを予測していたかのように、入院する直前に明代さんは御堂を訪ねていた。
 隠居をしてしまった祖父を呼び寄せようかと訪ねると、ちょっと寄っただけだからと朗らかに彼女は笑った。
 ただ十数年前の約束はまだ有効かと。
 勿論だと頷く僕を見て、嬉しそうに手を握ると「お願いだよ」と言って去っていった。その一月後に彼女の訃報が入ったのは。
「僕は明代さんの『家族になってやってほしい』という願いを叶えてあげたかった。僕の父も同じ気持ちだったし、御堂で引き取ることにまったく依存はなかった」
 最初は隠居した祖父が一人だったために萌ちゃんを引き取ると申し出たが、明代さんの望みを叶えてあげるためにも、そして長く続いた渡辺の母子との確執のためにも、萌ちゃんを自分の娘にするのが父は一番だと思った。
 曾祖父と珠子さんが出会いさえしなければ、渡辺に産まれた彼女達ももっと普通に人生を送っていたかもしれなかった。
 一種の呪いのように渡辺家には女児が、御堂には男児が生まれ続いたのも何かの運命かもしれないとさえ思った。萌ちゃんが、御堂の家に入れば、欠けていたピースがはまるような。そんな思いすらした。
「気兼ねさせないように本当の父親のフリをすることにした。彼女は実の両親の記憶はほとんど無いと明代さんから聞いたから、僕を本当の父親だと思ってくれるのが一番御堂の馴染み易いと思ったんだ。でもなぁ…、渡辺の姓で居たいと言われて。DNA鑑定も念のために偽造しておいたのに、御堂の養子になる気はないらしくて…」
 父は悲しそうに肩を降ろした後、ハッと何かに気がついたように顔をあげてこちらを見た。
「克巳、お前なら萌ちゃんを説得できる!」
「はぁ?」
「うんうん、お前が優しいお兄ちゃんになれば、萌ちゃんが本当の家族になりたいとすら思ってくれるかもしれない」
「えぇ、嫌ですよ。面倒くさい」
 日本人形のような顔の萌ちゃんを思い浮かべてみる。清楚な印象が強く、マナーも一通り覚えているし、御堂に入っても見劣りのしなさそうな逸材だ。
 しかしあの冷たそうな顔の子を可愛がる自分を想像できない。
 構うと逆に嫌がられそうな、敢えていえば女版優成のような子じゃないか。
「まぁ、優しいお兄ちゃんは何だが、可哀想な彼女のことも考えて早く家に馴染むように気にかけてやってくれ」
「そうですね。まぁ、同情はしますし、それくらいなら」
 突然我が家に妹が増えた謎も解けたし、まぁ少し話しかけるくらいならしてあげよう。
 ふと脳裏に勘違いをした双子達の顔が浮かぶ。彼らに早いところ真実を教えてやった方が良いかもしれない。
しかし放っておくのも面白いような気もするが。
「父さん、この話は弟達にも教えてやって良いのかな?」
「いや。敵を欺くなら味方からと言うし、優成達には本当の妹だと信じ込ませておこう」
「そうですか」
 明らかに信じていない3人のことは伝えずに、ほくそ笑みながら父の書斎を後にした。これからおもしろいことになりそうだ。

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