Sunday, April 26, 2009

愛とはかくも難しきことかな32

走って、走って、息が続かなくなっては歩いて、御堂の家から離れることばかりを考えながら進んでいたらいつのまにか人の多い繁華街の方へ着いていた。
疲れた。
喉が渇いたけれど、一休みしようにもお金はない。喫茶店の中で休憩している人達を羨ましく思いながら、その傍の遊歩道のベンチに腰掛けた。
誰にも見つからないようにそうっと玄関口から出たから靴は履いているけれど、財布などを取りに行くことは失念していた。それよりも逃げることばかり考えていたから。
頭が痛い。酸欠なのだろうか。
ガンガンと鳴り響く頭痛のせいか思考がまとまらない。
御堂の父は私に利用価値があるから引き取ろうとしたんだろうか。祖母はどうして彼に連絡するように言ったのだろう。どうして私は御堂家で嫌われ者なんだろう。母が御堂の愛人だったから?これからどうしたら良い?行く宛はない。頼れる人なんてこの街にはいない。祖母と暮らしていた場所はここから県を超えた場所で、昔の友達に会いに行くなんて電車もバスにも乗れないんだから無理だ。ヒッチハイク?アメリカのカントリーロードじゃあるまいし。
どうしよう。
どうしよう。
もうすでに薄暗くて、部屋着のワンピース一枚だけでは肌寒い。
遊歩道の街路灯に明かりが灯っていく。デート中のカップルや、家族連れが幸せそうに歩き去っていく姿を横目に膝を抱えた。

日が沈んでから数時間経つと、段々と人気が少なく成ってくる。
夜はホームレスのたまり場なのか浮浪者のような格好の人達が多くなり、怖くなって場所を移動することにした。
明るいほうに、明るい方にと進んだせいか歓楽街のネオンがちかちかと光る場所に辿り着いた。至る所に人が溢れていて、待ち合わせしている人達、ただたんに道ばたで戯れている人達、見せの呼び込みのスタッフ達が忙しなく行き来する。
周りにもたくさん同じような人がいたので、自分も植え込みのレンガに座った。
たまに明らかに部屋着なワンピース姿でいるのが変なのか、じろじろと見てくる人がいて居心地の悪さもあったが、肌寒さは人ごみのせいか紛れて感じ、それからこの人ごみならば御堂の人達が探しに来ても分からないだろうという安心感もあって緊張を解いた。
それから数十分くらいした頃、隣に一人座る気配がした。
なんとなく視線を感じてちらりと横を見ると、見知らぬ30代くらいのおじさんがこちらを見ていた。
目が合うと彼は親しげに笑いかけてくる。
「ねぇ、きみ、ひとり?」
「え?…そうですけど」
嫌らしい感じはしなかったから、とりあえず返事をする。
実際おじさんというよりもお兄さんでも通るくらいの年齢だった。克巳さんは27歳でまったくお兄さんという外見だから、この人は多分30代半ばくらいなんだろうか。
返事をしたことに気を良くしたのか、1mくらい開いていた感覚を詰めて近くに座ってきた。
「なんかワケありっぽいね」
「そうですか」
「家出してきたの?」
馴れ馴れしいく、唐突に嫌なところを突いてこられて、むっとした顔をすると彼は気にした風でもなく笑った。
「財布も持ってこなかったんだ」
「だから、なんなんですか」
「お金、欲しくない?」
「変なバイトならしませんよ」
一瞬でも爽やかそうな人だと思った自分を後悔した。
夜の街によくいる勧誘だ。こういう人に着いていっちゃいけませんと子供時代に祖母から何回も言い聞かされたし、着いていって死体になって川に浮かんでたりすることもあるらしいのですぐさま断った。
けれど彼はしつこく諦めない。
「変なバイトじゃないよ。ホテル行ってちょこっと触らしてくれるだけで3万円。ね、簡単でしょ?」
「ちょこっと触るだけで終わるなんて信用できるわけないじゃないですか」
「あ、じゃぁ6万円。ね、別に初めてじゃないんでしょ?ちょっとくらい良いじゃない」
「なっ、初めてに決まってるでしょ!何がちょっとよ」
「あ、初めてなんだ。じゃぁ10万!ね、奮発して10万出すから!」
「いい加減にして下さい!」
しつこい人間に捕まったと、植え込みから立ち上がろうとしたとき、彼が腕を取って引き止めてきた。
「家出中なんでしょ、10万あったら1ヵ月は持つよ。ね、どう?」
その言葉に一瞬抵抗するのを忘れる。
10万。
なんておいしい金額だろうか。
それだけあれば地元に帰れる。しばらくネットカフェにでも寝泊まりできる。
「やっぱ10万だったらいいんだね。じゃぁ、いこいこ。あっちに奇麗なラブホ知ってるからさ。やっぱ初めてだったらひどいところは嫌だよね」
「…」
手を引かれて、歓楽街の奥へと連れて行かれる。その間ずっと頭の中は葛藤ばかりだった。
こんな見知らぬ他人、しかもおじさんに、お金のために身を売っていいのか。ちょっとだなんて言っていたがそれだけで済むわけがない。大体にして売春は違法行為だ。でもこの場合相手が罪に問われるけれど自分は問題ないかも。でも、もしもこれが堕落の一歩だったら?このまま普通の生活に戻れなくなったら?もしも、この人が入れ墨関係の人で、いつのまにかキャバクラとかに売り渡されたら?
変な想像は留まるところを知らず、背筋がぞっとする。
それに法律や道徳の問題とかじゃなくて。
私の身体。
初キスも触られるのも御堂の兄弟に盗られちゃったけれど、最後の初めての経験だけは死守したのに。こんなところでこんな人に渡しちゃっていいのかな。
でも。
どうしよう。
お金。
御堂の家に帰りたくない。
あぁ、どうしよう。

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