Wednesday, February 25, 2009

愛とはかくも難しきことかな27

「嘘じゃないよ」
「だって…」
 似合わないドレス着せて。…キスまでして。あんなこと悪ふざけでなきゃできないではないか。
「だって?」
「……何でもありません」
「信用してくれないの?」
「できません。でも、もう良いんです」
 どうせ、もうすぐ出ていくつもりなんだし。今更この人と表面上だけの和解なんてしても、意味がない。
「ふーん」
 克巳さんは唇を尖らせて、拗ねた顔で前を向く。
「じゃぁ、信用してくれるまで、家に帰らない」
「は?」
 そう言った彼は、シフトノブを握る左手でガコンとギアを入れ替えた。途端に身体に重力がかかる。ブオン、と大きな音とともに車が青信号で発進した。
「か、克巳さんっ!」
 突然スピードをあげる彼に、悲鳴のような声で名を呼んだが、振り向かない。彼は楽しそうに運転している。車のことはよく分からないけど、あきらかにスピード違反じゃないのだろうか。こんなに運転の荒い車に乗ったのは初めてだ。
「い、家に帰らないって、嘘ですよね」
「さぁ、どうかな。今日は良いお天気だし、良いところ連れていってあげるよ」
 まるで飴を上げて子供を攫う変質者のようなことをいう克巳さんを本気で恐ろしく思えた。その彼の向こうでは、何台もの車が通り越されて行く。
「帰りましょうよ、ねぇ、克巳さん。お願いですから」
「だって信用してくれないんだよね?」
「信用します、もう嘘つきなんて言いませんから!」
「本当に?」
 道は高速沿いの国道だ。越した信号の上に高速道路の入り口の表示が見えてますます焦る。
「本当です。疑いません。お願いですから、ね、お願いですから帰りましょうよ」
「そっかー。うん、そうだねぇ」
 にこにこ笑っている彼ははっきりと答えてくれない。あわあわとシフトノブにかかる彼の手の袖口を掴む。力を混めてしまえば克巳さんの運転の邪魔になるので、そんなことはできず、微妙にすがるように引っ張る。
「克巳さんっ」
 もう駄目だと思って、ぎゅっと目をつぶった。しかし、ぎりぎりのところで車が車線変更して高速の入り口から外れた。
 それでようやく克巳さんの袖口を握っていた手を離して、ふぅと息を吐いて額に浮かんだ冷や汗を拭いた。座席に深く腰掛けて、運転している彼を見やると、なんだか楽しそうな顔をしていた。まるで悪戯が成功して喜ぶ子供のような顔。この人は一体何歳だったっけ。
 車が家路についたのを確認できると気が抜けてしまった。
 疲れた。
 早くこの家を出たい。今日、御堂の父に会えたら、私はこの兄弟から逃れられるのだ。
 優成さんのことは結構好きだったけれど、やっぱり相容れないことは多いし、寂しくなるけれど離れることは良いことだと思う。
 私は、どこか違う場所で、自分に合った道を歩むのだ。


 そう心の中で誓いながら家についたのだけれど。
「まぁまぁまぁ、なんて格好されてるんですか」
 トメさんに出迎えられた玄関で、矢田さんに借りたTシャツとズボンにトメさんが大げさに驚かれた。確かに華奢なハイヒールにはまったく似合っていないけれど。
「これ、ドレスなんですが、クリーニング行きですか?」
 手洗いの表示があったかどうか分からない克巳さんに貰ったドレスを、矢田さんに貰った紙袋ごと渡すとトメさんは心得たように受け取ってくれた。
「そういうのは私がやっておきますから、温かいお風呂でも入ってご自分のお洋服に着替えていらっしゃいまし」
「あ、あの、お父様にお会いしたいのですが」
「旦那様はお出掛けになられましたよ。夜にはお戻りになられます。それよりも、そんな格好でお会いしたら心配なされます。着替えてらっしゃいまし」
「はい…」
 どうやって父に話を切り出そうか。それよりも、怒られたらどうしようと思うと、胸が緊張で疼いていたのに、出かけたときいて拍子抜けしてしまった。
それから、胸のなかにムカムカとした気持ちが湧いてくる。
やっぱり嘘つきではないか。
克巳さんは家で御堂の父が心配していると言っていたのに。

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