Friday, April 24, 2009

愛とはかくも難しきことかな31

「何してるんだ」
 一瞬静かになったところに、長男の声が割って入った。双子の拘束が緩んだので、仰向けに床に転がったまま目元を腕で隠した。
「克巳兄、こいつがっ」
「女の子に手を上げるなって、何回言えばお前達は聞いてくれるのかな」
 彼等の話し声が遠く聞こえる。
 こうやって目を閉じていれば、世界が遠い。
 何も見たくない。
 私のまわりはいつも嫌なことばかり。
 足音が去っていく音がしても寝転んだままでいた。3人とも出ていったと思ったのだけれど、身体の下に誰かの腕が回されるのを感じて目を開けた。
「大丈夫?」
 克巳さんは静かにそう言うと、軽々と私の身体を抱き上げた。
「ここは鍵もないし良くないね。休めるところに行こうか」
 どうでも良い。彼の言葉を無視して目を瞑り身を任せると、彼はどこかへと歩き出した。


 連れていかれたのは離れの、どこかモダンな内装の部屋だった。
 ベッドや机があることから個人の部屋であることが伺える。連れてきた相手が克巳さんなのだから、そこが彼の部屋なことはすぐに気がついた。
 奇麗に整えられた大きなベッドの上に降ろされる。
 彼はベッドの端に腰掛けて、手を伸ばしてきた。何をされるんだろう、と一瞬身構えると彼は苦笑しながらその手を私の頭においた。
「お腹すいてる?」
「いえ…」
 さっきまで少し空腹を感じていたけれど、今はもう食欲がなくなっていた。
「気持ちが落ち着くまでここにいると良いよ。鍵もかかるし、双子が邪魔しにくることもないからね」
「……」
「どうかした?」
「…いえ」
 この人のこの優しさも、きっと嘘なんだ。そう思うと返事をするのも億劫になってくる。
 どうしてこんな所まで連れてこられなきゃ駄目なんだろう。
 離れの中には入ったことがなかったからいつも興味はあったけれど、こんな風に連れてこられるなんて皮肉だ。
「僕は昼ご飯を食べてくるから、気持ちが落ち着いたら出ておいで」
 そう言って克巳さんは部屋を出ていった。
 ベッドの上に寝そべったまま、寝返りをうちまた目を閉じた。

 どのくらいそうしていただろうか。
 日が少し傾いた頃、表の方で車が帰ってくる音が聞こえた。御堂の父だ。
 身を起こして、そろりと部屋の周りを伺ってから、廊下に出た。本邸と違って中は真新しいせいか、歩いても床は軋まない。足音を忍ばせて母屋に帰るため離れを繋ぐ渡り廊下を目指していると、御堂の父の声が聞こえた。
「…えちゃん…か……けど」
 自分の名前を聞いた気がして足を止める。
 どうやら渡り廊下の向こう側の廊下を、克巳さんと御堂の父が歩きながら何か話しているらしかった。だんだんと近づいてくる声に、傍にあったお手洗いの中にとっさに身を潜める。
「父さん、それはどうかと思うよ」
「どうしてだい?尾畑の息子はとても良い子だ。成績も良いし」
 今いち自分とどう関わりのある話なのか分からず、もしかすると自分の名が出たのは気のせいかと手洗いの前を去っていく彼らの後を追おうと、廊下へ出ようとしたとき。
 聞こえてきた言葉に一瞬自分の耳を疑った。
「尾畑のコネクションは大切だ。もしも萌ちゃんがあの家との橋渡しになってくれれば、うちの社も今しばらく安泰になるだろう」
「パーティで見初めた出会いなんて安っぽいな」
「いいじゃないか。合わなければ止めれば良いんだし」
 二人が去っていった後も、しばらくお手洗いの中で動けなかった。
 寒気が足下から上ってくるような、気持ち悪い感覚が全身を満たしていく。
 信じていた何かが根底から崩れていくようで、震える身体を抱きしめてそろりと廊下に出て、早足でその場を離れた。

No comments:

Post a Comment