Tuesday, August 4, 2009

貴方と私の境界線06

翌朝、10時すぎに聞き慣れないアラームに起こされ、目を覚ますと河野様の部屋に居た。
二回ほど抱かれて、疲労困憊のそのまま泊まってしまったらしい。
朝出かける時に起こして欲しいと頼んだ覚えがあるのだけど、忘れられていたのかわざと無視したのか。
小さく金属がこすれる音がして、ふと胸元を見ると華奢なネックレスがかかっていた。
そういえば昨日お土産があると言っていたけれど結局渡されなかった。もしかするとこれがそうなのかもしれない。
しかし、こういうのはお土産とは世間一般では言わないのではないかな。どちらかというとプレゼントの域だと思うのだけど。
バスルームに行ってもっとよく見ようと鏡の前に立つ。
すると奇麗なプラチナのネックレスの横に赤紫色に変色した肌が見えた。
「うわー…」
キスマークというのはピンク色で小さくて可愛いものだと幼心にずっと思っていたのだけれど、最近その夢がことごとく壊されていると思う。
背中側から首の付け根にかけて手のひらくらいの大きさの痣がつけられている。
後ろから抱かれながら何度もその辺りを吸われた覚えがあるのでそのせいだろう。そこらへんに舌を這わされるとぞくぞくしてしまうので、河野様がことさら好んでそこを責めるのだ。
しかし。
「隠れるのかな、これ」
着物のえりあしから覗かなければ良いのだけど。
まぁ芸妓さん達の着物と違って業務用のは首があまり出ないから大丈夫かな。

シャワーを浴びて、そのまま河野様の部屋に置かれている服に着替えて出勤した。
家まで5分程度だったけれど11時出勤なので、河野様の部屋から直接仕事場に向かった方が楽だからだ。
10時に起こされたことにそこはかとなく河野様の意思を感じる。あの方は私が彼の家で自分の家のように振る舞うのが好きなのだ。
きっと同棲したいと言うのが本音なんだろうけれど。
でも私にはこの部屋の家賃を折半なんでできないし。立地と広さを考えたらきっと20万近くすると思う。


「あら、今日は早いじゃない」
「うん、ちょっと早く出たの」
更衣室で恵さんに出会った。
恵さんは料亭のおかみの娘さんで、私よりも3歳年上だが、いつも気さくに話しかけてくれていつのまにか友達になっていた。
社員用の箪笥から着物を出して身につける。
ここで働きだしてから、有料のクラスに通わずに着付けやお花とお茶を覚えることができたのはとても運が良かったと思う。料亭の正社員の人は皆なにかしらの免許を持っている。
おかみさんが率先してアルバイトの子達にも教えてくれるから、6年間ここで働いていた間にいくつか免許を貰った。高い着物は買わなくても恵さんに頼めば貸して貰えたから、ちゃんとした公式の場に出て披露したこともある。
料亭のお茶室は茶道の会室にも使われることもあって、高名な先生方が来たりして、その伝手でたまにこの料亭の人たちに教えてくれることもあった。
「あら、なぁに、それ」
恵さんに指差されて、はっと思い出して首筋をおさえた。
顔を赤く染めた私を見て彼女はけらけらと笑う。
「やらしー」
「違うの、これは」
「別に気にしないわよ。着物から見えなかったら」
ふふふ、と恵さんは含み笑う。
「それよりも、いつからよ。聞いてないわよ」
「つ、つい最近付き合いだして、だから」
親友といっても過言でない恵さんに河野さんのことを話していなかったので、しどろもどろに説明しようとすると彼女は全て分かっているとでも言うように頷いた。
「大人だもの。友達に言えないような付き合いがあっても仕方ないわよ。気にしないで」
その言葉の裏に少しだけ寂しさを感じたけれど、私は小さく笑ってありがとうと呟いた。
恵さんに話そうかと思ったことは何回かあった。
特に河野様と初めてキスした翌日は半分パニックになっていて、嬉しさと困惑と不安の入り交じった気持ちを彼女に聞いてもらいたいと1日中考えていた。
それでもどうしても話せなかった。彼女はおかみの娘さんなのだ。店と友達とどちらを彼女が選ぶのか分からなかったし、もしも自分の側に立って応援してくれてもそうすると今度は店を裏切ってお世話になったおかみの娘さんまで自分の側に立たせてしまうと思うと罪悪感が沸いてくる。
だから未だに河野様と付き合っているのは私だけの秘密なのだ。
「でもすごいわね。そんなおっきなマークつけられちゃったら2週間は残るんじゃない?浮気のしようもないわね」
帯をしめる私の襟首を覗き込みながら恵さんが言う言葉に、驚いて振り返る。
「浮気なんてしませんよ」
「こういう痕を残す人って嫉妬深いのよ」
河野様と嫉妬という言葉があまり結びつかなくて首を傾げると、恵さんに背中をぱんと軽く叩かれた。
「変な男には気をつけなさいよ」
「…はい」
「さて、じゃぁ仕事しますか。まつりは今日はお座敷は無し?」
「はい。今日は恵さんのサポートです」
「やった。休憩一緒に入れるわね」
明るく言う恵さんに、河野様のことを黙っている罪悪感に苛まれながら、一緒に更衣室から出た。

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