Wednesday, December 31, 2008

怖い人 番外 大晦日前編

「え?大晦日?」
 その電話が槌谷からかかってきたのは、30日の夜だった。
 内容はカウントダウンを、槌谷の家でやらないかというものだった。
「でも、夜中に出歩くなんて、お母さんがきっと許してくれないよ」
「大丈夫だよ、多分。ちょっとマナさんに変わってくれる?」
 槌谷の母が愛実の母と仲が良いせいか、彼は彼女の母のことを名前で呼ぶ。母の存在を知らなかった頃も、槌谷は母と面識があったらしい。勿論、愛実の母親とは知らなかったらしいが。
「おかあさん、槌谷が変わってって」
「はいはい?」
 キッチンで夕飯を作っていた母に携帯電話を渡すと、彼女は器用に肩との間に電話機を挟んで槌谷と喋りながら料理を続けた。
「えぇ、そうね。それなら……」
 内容はなんとなくしか分からないけれど、どうやら愛実の想像に反して母は槌谷の提案に乗り気のようだった。
 横で立って会話を聞いていると、彼女がこちらを向いて食器棚を指差した。どうやら器を持ってきて欲しいらしく、頷いてその場を離れた。
「……じゃぁ、よろしくね」
 戻ってくると、丁度彼女が携帯電話を耳から離したところだった。
「アイちゃん、ありがと。あと、はい。話は聞いたから、明日お昼に送っていって、一日の朝に迎えに行くから」
 器と携帯電話を交換しながら母がそう言うので、愛実は驚きに目を瞬いた。
「え、いいの?」
「勿論よ、お友達と大晦日を過ごすなんて初めてでしょう。楽しんでいらっしゃいな」
「う、うん。ありがとう、おかあさん」
 こうもあっさりと許されるものなのか、と首を傾げながらもう一度携帯電話に耳を当てる。
「もしもし」
「明日マナさんが昼すぎにうちまで送ってくれるらしいから。泊まる用意はタオルとかうちにあるから、服くらいでいいからね」
「うん」
 そう言って電話を切った。
 泊まる準備って何がいるんだろう。歯ブラシと着替えと。明日は何を着ようかな。



 翌日の昼、エミも友達と出かける予定らしく母に一緒に駅まで送ってもらうことになった。
「ママ何考えてるの?!男が二人にアーちゃんだよ?」
「大丈夫よ、南条君と洋平くんなら」
「どこにそんな根拠があるのよー!」
 行き道で愛実を止めようと散々泊まることについて反対したが、最後は待ち合わせに遅れそうだったのか渋々去って行った。
「エミちゃんは心配性ねぇ」
 うふふ、と母が笑いながら見送っている。
「……自分のことを棚にあげて」
「え?」
「なんでもないわよ。さ、行きましょうか」
 のほほんとした母がぼそりと言った言葉は聞こえず、促されて頷いた。
 槌谷の家はエミを降ろした駅から車で15分ほどだ。数駅離れているのだけど、年末のせいか車が混んでいた。
 道行く人達は皆忙しなく、それでいてどこか浮かれた雰囲気を纏いながら歩いている。
「お母さんも、昔はこんな風に友達と大晦日を過ごしたことがある?」
「うん?……そうねぇ、中学生の頃、仲の良い子達と近くの神社に行った思い出があるわね。縁日みたいに屋台が出てて、楽しかったわ」
 前を向いたまま、母はそう言った。どこか懐かしそうにそう語るのは、ずっと昔の思い出だからだろうか。
「アイちゃんも、今のうちにたくさん楽しいことを経験しておいてね」
「どうして?」
「いつ、何が起きるか分からないからよ。洋平君や南条君と、こうして過ごせるのがいつまで続くかなんて、誰にも分からないのよ」
 どこか遠い目をしていう母の言葉に、つい反論しそうになった言葉を飲み込んだ。
 槌谷や南条が明日明後日の未来にそう簡単に消えてしまうことなんて滅多にあることではないだろう。それに母の年になるまであと30年ほどある。その間に楽しいことなんていくらでもあるだろう。
 だけど、母がそういうのなら、きっと有り得ない未来ではないのかもしれない。
 だからこそ、今日この日に泊まりに行かせてもらえたのかもしれない。


 槌谷の家のマンションの前につくと、南条がエントランスで迎えてくれた。
「じゃぁ、明日の10時過ぎに迎えにくるから。あんまり夜更かししては駄目よ」
 母はそう言って家に戻っていった。きっと父が、娘達のいない家で仲良く新年を迎えるのを楽しみにしているのだろう。
「元気だったか?」
 こくん、と頷いて答えるとそうか、と言って笑った。
 学校が終わって一週間ほどぶりに見た南条はあまり変わっていない筈だけど、久しぶりに見た私服姿だと少し印象が違って見える。黒いトレーナーとジーンズは、そんなに格好付けて着ているわけでもないのに、妙に洗練して見えるから不思議だ。
「洋平が今家の片付けしてるから、ちょっと物が色々散らかってるかもだけど」
 来慣れた槌谷の玄関を入ると、確かに雑誌や何かが山積みになっておかれていた。
「おじゃまします…」
 リビングで新聞紙を纏めていた槌谷が、入ってきた愛実に気づいて顔をあげた。
「いらっしゃい。ごめんね、散らかってて」
「だから早く掃除を始めろって言ったのに」
「忙しかったんだから仕方ないだろ」
 南条に諭されて槌谷は口を尖らせる。
 上下スウェット姿の槌谷は、とことんオフの姿なのか髪の毛もセットされていないし、どことなく年相応に見えた。いつもなら南条と槌谷が揃って歩くと、大学生にすら間違えられそうなのに。
「手伝おうか?」
「いやー、いいよ。渉とゲームでもしててよ」
「お前な、俺たちが遊んでたら絶対混ざってくるだろ」
 新聞を紐で括るくらいなら、愛実にだってできる。それでなくとも今朝は家で母の掃除を手伝っていたし。
「3人でやっちまおうぜ。後は台所と洗面所だけだろ。そしたら年越し蕎麦食って、出かけるぞ」
「あ、そうだ。出かけるんだっけ」
「どこ行くの?」
「秘密」
 どうして秘密なんだ、とむぅと眉間に皺を寄せると、二人はからからと笑って、掃除を再開した。


 二人と遊ぶのは初めてではなかったけれど、こんなにまったりと家の中で過ごしたのは初めてだった。放課後一緒に買い物したりお茶をしたりしたことはあったけれど、3人で一緒に掃除をしたり、料理をしたりするのは初めてだ。
「渉、皿出して。3つ」
「あいよ」
 槌谷が実は料理が上手いことなどは新しい発見でもあった。4ヶ月近くこの家に住んでいる南条は慣れたもので、家のことならなんでも把握している。
 てきぱきと蕎麦を茹でて盛りつける槌谷に、器を出したり箸を並べたりと忙しく働く南条。そんな二人を眺めながら、愛実は手持ち無沙汰にダイニングテーブルでお茶を啜っていた。
 最初は手伝おうと思ったのだけど、大きな男二人がキッチンをうろうろしている中、自分がその中に入るとどうしても邪魔になってしまうのだ。大体にして、槌谷と南条で全部やってしまっているのだから、手伝えることすら無いというか。
「はい、おまたせ」
 蕎麦の入った器を抱えた槌谷がキッチンから出てきて、愛実の前に一つ置く。香ばしいとろろの香りがふんわりと広がる。母が毎年作る年越し蕎麦も美味しいけれど、槌谷の作ったのもなかなかな見栄えだった。
「ほい、れんげと七味」
 槌谷の後からやってきた南条が椅子に座ったところで、3人で手を合わせた。
「いただきまーす」
「……いただきます」
「はーい、いただいてくださいませー」
 蕎麦は見た目を裏切らず美味しかった。高そうな見た目の蕎麦の箱があったのだけど、素材だけではなくきっと槌谷自身の料理の上手さがこの味を出しているんだろうなぁと思う。
 槌谷が料理上手だなんて、一体誰が想像できるだろう。きっとそのことを知っている人は彼と仲の良い一部分の人間に限られるんだろう。その中に自分が入っていることが嬉しい。
「あー、うまかった」
「ご馳走さま……あの、すごく、美味しかった」
 素直に感想を言うと槌谷は嬉しそうに笑った。
「良かった。マナさんはすごい料理が得意だって聞いてたから、愛実っちゃんに気に入ってもらえて良かった」
「ううん、あの、お母さんと同じくらい、槌谷も料理上手だね」
「そうかなー。そう言ってもらえると嬉しいけど」
 照れたように笑う槌谷の顔は珍しい。また新しい発見だ、と心を踊らせていると、南条が立ち上がって器を重ねだした。
「あのっ、片付け、あたし、やる」
「別にいーぞ、俺やるし。愛実は座ってろよ、客だし。それよか、洋平、シャワー浴びて着替えて来い」
「あーい」
 未だスウェットの上下を着たままだった槌谷は、南条の言葉にさっさと席を立った。食べ終わってすぐにお風呂に入って気持ち悪くならないのだろうかと首を捻っていると、南条はすでにキッチンで食器を片付けている。
「あ、あの、あの」
「気にしなくていいって、食器洗い機に入れるだけだし」
 言われてカウンターの下を見るとシルバーの食洗機があった。
「でも…」
「じゃぁテーブル拭いてきて。台拭きはこれな」
「う、うん」
 ダイニングテーブルを奇麗に拭き終わった頃には、南条も食洗機に食器を片付け終わっていた。すごく手際が良い。もしかするといつもご飯を作るのが槌谷で、後片付けが南条という役割が分担されているのかもしれない。
「さんきゅ。なんか飲むか?」
「ううん、いい」
「そうか」
 布巾を軽く洗ってしぼったあと、きゅっと水を止めて、彼も濡れた手を拭う。
 大きくて節ばった手だ。この間手の大きさを比べたら、親と子ほど違った。
 不思議なものだな、と思う。
 小さい頃は自分の方が身長は少し高かったし、足の早さだってそこまで違うこともなかったのに。男女の違いとはそうも大きいものだろうか。
 手の動きを追っていると、それが上に上がって、目線の高さに来るとひらひらと振られた。その向こうに南条の顔がある。
「手がどうかしたか?」
「…ううん、大きいなって」
 そう言うと、彼は苦笑してその手を愛実の頭に乗せた。わしわしと頭を撫でられて、髪の毛が乱れるとその手から逃れると、南条は声をあげて笑った。
「はは、鳥の巣みたいだ」
「ひ、ひどい」
 上目に睨みつけると、彼は笑いながらもぐしゃぐしゃの髪の毛を手櫛で直してくれる。それから、元通りになった髪の毛と、愛実の格好を見下ろして、ぽつりと言った。
「今日の愛実、可愛いな」
「……え?」
「さーて、俺も着替えてくるわ」
 聞き間違いか、と首を傾げると、南条はぱっと踵を返して自分の部屋へ行ってしまった。それから聞こえた彼の台詞を思い返して、ぼっと頬が紅潮した。
 槌谷になら何度となく言われる言葉なだけに挨拶代わりと聞き流せるけれど、南条に言われる事などなかったからかつい本気にしてしまいそうだ。言い逃げされて、狡いと思う反面、赤く染まった頬を南条に見られなくて良かったと思う。
 ぺちぺちと火照った頬を叩いて冷ましていると、ぬっと背後から手が伸びてきて抱きしめられた。
「ひゃぁっ」
「ほっぺたどうかしたん?」
 バスタオルを腰に巻いたままで、いきなり出てきた槌谷に驚いて声をあげると、着替えに行っていた南条が部屋から首を出した。
「よーへー!おま、なんて格好で出てきてんだ!」
「だって着替え持って行かなかったんだから、仕方ねーじゃん。俺の部屋、そっちだし」
「だからってなぁ、愛実の前で半裸で出て行くやつがあるかっ!」
 愛実の後ろに立ったまま腕を肩においていばって言う槌谷に、南条が怒る。
「あ、あたし、別に気にしないから」
「頼むから気にしてくれよ!」
「まったく気にされないのも、ちょっと」
 二人に挟まれて言い合いの真ん中に居た愛実は、おたおたと口を挟むと何故か二人から呆れられた。
「だって、槌谷だから……」
「じゃぁ俺だったら?」
「な、南条でも、まぁ、槌谷と同じ、かな」
 南条がタオル一丁の姿なんて想像できないけど、多分見慣れてしまえば、父親のタオル姿とあまり変わらない気もする。
 そんなことを思っていると、槌谷が真剣な顔をして目の前にやってきた。
「愛実っちゃん。タオル姿の男が目の前に居るということはね」
「うん…?」
「こういうことだよ」
 そう言ってばっとタオルを腰からはぎ取った。
「ひあぁああああ!」
 悲鳴を上げて慌てて南条の背に隠れた愛実を見て、槌谷は腹を抱えて笑った。南条も思わず吹き出した。
 二人の反応を見て、南条の背から顔を出すと、よくよく見てみれば槌谷はトランクスを履いていた。短パンとあまり変わらないその姿に、愛実はほっと息をついた。それからふつふつと怒りが湧いてくる。
「ひどい!」
「あはははっ、これで反応がなかったらどうしようかと思ったけど」
「ははは、逃げ方が傑作。つーか、猫みたいに飛び上がったし」
 二人は笑いながらそれぞれ部屋に着替えに戻った。しかしリビングにいる愛実にも聞こえるくらいの笑い声がしばらく響いた。

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